人気ブログランキング | 話題のタグを見る


幻の「カフェー」時代

幻の「カフェー」時代_f0307792_13460377.jpg


斎藤光『幻の「カフェー」時代』(淡交社、令和2年9月20日)読了。ギャラリー島田の最終日に斎藤氏より直接頂戴した。深謝です。これは読んでおかなくては、と思っていた一書。京都のカフエーを中心にとくに新聞記事(『京都日出新聞』『京都日日新聞』)を丹念に調査した成果が存分に盛り込まれている。

参考になる発見はいくらでもあるが、ふたつだけメモしておく。まず「鎰屋」について。明治末頃にはまだ京都にカフェーはなかったそうだ。

《1910年末、カフェージャンルもカフェーの個別店も京都では成立していない。》(p48)

ただし

《1910年までには、京都の新聞にもカフェーについての情報は載るようになっていた。実際のカフェーはなかったが、カフェーが、文学や芸術の展開する場であるという認識や言説も、ある程度知られていた。一方、ミルクホールはあった。特に京都帝国大学、第三高等学校などが集まる文教地区「吉田」では、学生の集まる「場」になっていたといえよう。》(p49)

そこで問題になるのが『京都日出新聞』(1911/11/17)に載った「大阪の一友へ」(てるを[秦テルヲ])という記事である。そこには《寺町にカツフエーの出来た》《吉田のカツフエーにはウヰスキーもあればブランデーもあり日本酒もある》と記されており、京都のカフェー史を語るときに見逃せない重要な記述になっているという。

《「寺町」のカフェーとは、寺町二条の西南角にあった、老舗和洋菓子屋の鎰屋[かぎや]の喫茶部のことである。同じ年の12月に、拡築された寺町の店舗を紹介する記事が『京都日出新聞』に載る。そこでは、「階上に京都随一の喫茶部が出来て『カギヤカフエー』の名は新しい人々の口に能く上る」と紹介され、カフェーと位置づけられていた。》(p50-51)

《京都随一の喫茶部》というところに注意したい。茶店ではなく喫茶部(広告の表記は《かぎや菓舗/樓上喫茶部》)、これが京都のいわゆる「喫茶店」の嚆矢になるのかもしれない。大正十五年の鎰屋の外観写真(『京都日出新聞』1926/2/19)も掲載されていて驚かされた。

もう一点は京都パウリスタの創業について。一九一二年四月から五月にかけて谷崎潤一郎が『京都日日新聞』(『大阪毎日新聞』にも)連載した京都見聞記「朱雀日記」には次のように書かれているというのだ。

《近来京都の洋食は一時に発達して、カツフエ・パウリスタの支店までが出来たさうな。》(p54)

これにはビックリ。パウリスタ京都支店は明治四十五年に開店していたらしい。これを補強するのは『京都日出新聞』(1912/6/10)に掲載されたカフェー記事。カフエーカギヤ、カフエーヨシダ、カフエーパウリスターキヨウト、カフエーミヤコの四軒が紹介されているという。

《「カフエーパウリスターキヨウト」は、谷崎が「朱雀日記」に書いた「カツフエ・パウリスタの支店」であろう。現在の京都市役所の近く、御池通りより北で寺町通り沿いにあったとみられる。》(p56-57)

とすれば、京都支店は神戸三宮店(大正元年)や大阪道頓堀店(大正二年)に先んじていたということになる。拙著『喫茶店の時代』では大正九年に京極に開店したパウリスタについての記事しか収録していないから、これはどうしても増補しておかなければならない内容である。

その他、市電の発展とカフェー開店の関係など、教えられることが実に多い著作である。

by sumus2013 | 2020-12-30 13:51 | 喫茶店の時代 | Comments(6)
Commented by トビラノラビト at 2022-02-23 16:48
大伯母井上正子の日記にパウリスタが出てきました。
大正10年(1921)1月24日の日記です。

一月廿四日 月曜日 気象 晴 起床六時半 就眠十時
夜お父様におねだりして京極へ行つた。そして私の大好きなパウリスターには入つた。小兄さんに写真を撮つて貰つたボーイがゐた。

斎藤光さんの引用では「現在の京都市役所の近く、御池通りより北で寺町通り沿いにあったとみられる」となっていますが、日記の記述ではもっと四条よりの京極に見えます。

京極パウリスタについて調べようと『喫茶店の時代』を取り出しました。




Commented by トビラノラビト at 2022-02-23 16:57
いま「大正九年に京極に開店したパウリスタについての記事」という箇所を読み落としていました。
これより以前にパウリスタが創業していた、ということなのですね。
いまノア版『喫茶店の時代』を見ていたので、ちくま文庫版で確認します。
Commented by トビラノラビト at 2022-02-23 17:31
ちくま文庫版をひもときました。
眺めだしたらとまらなくなりました。
京極パウリスタ、大伯母正子が出かけたのは、京極店として開業して間もない頃のようですね。梶井基次郎も来ていたのか。
「大好きな」と言ってるくらいなので、何度か足を運んでいるのでしょう。
京極パウリスタ、神戸や大阪と比べると文献が少ないようですね。
Commented by sumus2013 at 2022-02-23 20:23
絶好の資料ですね。京極パウリスタ、多分あまり長く営業していなかったのかと思います。井上正子日記の公刊が待たれます!
Commented by トビラノラビト at 2022-03-12 14:37
大伯母の日記にパウリスタに続いてカギヤカフェーも登場しました。

大正10年6月4日 土曜日 晴 起床六時 就眠十時
然し私等は電車に乗つてかぎ屋まで来た時たまらなくなつてお父様いちごが食べられなかつた代りにかぎ屋には入りましやうとおねだりしてとう〳〵私等のやつぱり好きなものをいたゞいた。

 植物園へイチゴ狩りに出かけたのに、イチゴが採れなくてがっかりしていた帰り道の出来事です。市電とカフェーの関係が裏づけられるようです。
Commented by sumus2013 at 2022-03-12 17:22
まさに! 梶井基次郎とすれ違った? かもしれません。
<< 恭賀新春 令和三辛丑 歳暮霞 >>