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学生街の喫茶店

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ガロのセカンドアルバム「GARO2」(デノンレコード、一九七二年)をヤフオクにて入手。七二年六月にこのアルバムからシングル盤「美しすぎて・学生街の喫茶店」がリリースされ、B面の「学生街の喫茶店」が人気を呼んだことで年末にはジャケットを「学生街の喫茶店」ヴァージョンに変更した。七三年一月にはガロがTV出演、春にかけて大ヒットとなった。

偶然かどうか、喫茶店と言えば、高田渡のシングル盤「自転車にのって/珈琲不演唱[コーヒーブルース]」も七三年にリリースされている。「珈琲不演唱」は京都のイノダコーヒがテーマ。大ヒットにはならなかったが、その分、ヤフオクでは相当な値がついている。

GARO はこういうグループである。

《堀内護(愛称MARK)、日高富明(愛称TOMMY)、大野真澄(愛称VOCAL) の3人グループとしてデビュー。全員が生ギターとボーカルを担当するのが基本的な編成。ガロという名前は、当時ザ・タイガースのマネージャーで三人の世話役でもあった中井國二が自分の子供にと考えていた「我朗」から名付けられた。
1973年に「学生街の喫茶店」、「君の誕生日」、「ロマンス」と立て続けにヒットを飛ばし一世を風靡した。
元々はCSN&Yやブレッドの影響下にあったバンドであり、それらのグループの楽曲もレパートリーに加えていたこともあり[1]、卓越したコーラスワークとギターテクニックにより「和製CSN&Y」と称された。》(ウィキペディア「GARO」)

《松崎しげるらと「ミルク」(ホットミルク)[2]という名のGSバンドを組んでいた堀内と日高に大野が加わり1970年11月に結成。かまやつひろしのバックバンドを経て、新レーベル・マッシュルームレコードの第1回発売アーティストとして同レーベルと契約。プロデューサーはミッキー・カーチスが務めた[3]。》(同前)

久しぶりにガロを聴いて感じたのは「ああ、これはGSだなあ」だったから、このウィキの記述を読んで、なるほどと納得。「学生街の喫茶店」は歌詞が山上路夫で曲がすぎやまこういち(ザ・タイガースの生みの親の一人)。すぎやまのアレンジのうまさがヒットの一因かと思う。

また《プロデューサーはミッキー・カーチスですぐに思い出したのは坪内祐三『一九七二』(文藝春秋、二〇〇三年)の「若者音楽がビッグビジネスとなって行く」である。七二年十月八日、キャロルがフジテレビの生番組「リブ・ヤング」に登場した。出演者募集に葉書で応募しての出演だった。

《その瞬間、ソファーに寝そべりながらテレビを見ていたミッキー・カーチスはドキッとした。ムックリ起きあがってソファーに座りなおし、全神経はテレビに釘づけになった。
 それは10月8日(日)午後4時からのフジTV『リブ・ヤング』の特集ロックン・ロール大会で、「グッド・オールド・ロックン・ロール」と、「ロング・トール・サリー」をうたった川崎のグループ、キャロルが他の出演者をみごとに喰ってしまった一瞬だった。》(p290、『ニューミュージック・マガジン』一九七三年一月号からの引用)

ミッキー・カーチスは直ちに放送局に電話をした。本番中だから取り次げないと断られたのにもめげず、終わったらすぐに出てもらってと頼んだという。そして電話に出た矢沢永吉に「僕と契約しない?」と持ちかけた。

《その時一緒に出演していた内田裕也が、本番終了後に話をもちかけた時にはもうすでにミッキーの電話がかかった後だった。》(p292、同前)

ただし、このとき内田裕也のバンドでドラムをたたいていた近田春夫はこう回想しているそうだ。こちらの方が自然ではある。

《裕也さんは、キャロルに惹かれて、何日かたってプロデュースを提案したんだけれど、そのTVを見ていたミッキー・カチスさんが、すでにアプローチしてきていて、そっちに決まっちゃって、裕也さんは「トンビに油揚げさらわれた」って悔しがる、悔しがる(爆笑)。》(p293、『BURST』一九九九年九月号「暴走対談」より)

小生、音痴を自認しているため、カラオケには数えるほどしか行ったことはない。行っても好んでマイクは持たないけれど、どうしても歌わざるを得ないときには『喫茶店の時代』の著者として、また青春時代に聴きなれた曲として「学生街の喫茶店」をうたうことにしている。坪内氏に誘われて(たぶん坪内氏がカラオケに凝っていたころだ)、学生や若い編集者といっしょに、記憶では神保町あたりのカラオケ店に入ったことがあった。これは断れないよね。そこで、やっぱり「学生街の喫茶店」をうたった。自己嫌悪に陥ることはなはだしかった。ただし、坪内氏も、よく覚えていないが(日記を探せば分かるかも)ブルーハーツかなにかを歌ったように思うが、それはなかなか大胆な歌いぶりで、ちょっと安心した。

by sumus2013 | 2020-07-31 20:48 | 喫茶店の時代 | Comments(0)
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