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イサム・ノグチ![]() ドウス昌代『イサム・ノグチ 宿命の越境者』(講談社文庫、上巻:2006年6月30日5刷、下巻:2003年7月15日、カバーデザイン=平野甲賀)面白く読了。上巻、イサムの父である野口米次郎の前半生を追ったドキュメントがなかなかに刺激的だ。一言で言えば「サイテーの男」。息子イサムの父に対する複雑な思いが理解できるような気がした。 野口米次郎の評伝は、本書の後に、堀まどか『「二重国籍」詩人 野口米次郎』(名古屋大学出版局、二〇一二年)と、星野文子『ヨネ・ノグチ 夢を追いかけた国際詩人』(彩流社、二〇一二年)が出ており、そして『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』(伊藤精二訳、文化書房博文社、二〇一五年)までも出版されている他、イサムの母であるレオニー・ギルモアを描いた映画『レオニー』(原案:ドウス昌代、監督:松井久子、二〇一〇年)も公開された。小生はどれも目を通してはいないが、本書に描かれているレオニーの生涯はたしかに映画になるくらい波乱万丈である。 香川県の牟礼町にイサム・ノグチの仕事場があった。現在は「イサム・ノグチ庭園美術館」となっているが、まだその形が完全にできていない建設途中に(一九九〇年代前半だったはず)一度、知人に案内されて訪問したことがある。まだ雑然とした感じの民家(納屋のような)を改装した展示場や、少し高くなった広場に、イサムの石彫作品が点々と置かれていた。これは良かった。それまでそう高く評価していなかったイサムの仕事を見直すきっかけとなった。そのくらい粒ぞろいの作品群であった。今、美術館のサイトで全景写真を見たけれど、あのときは建設途中だったせいもあるのだろうが、こんな小綺麗な雰囲気はまったくなかった。 イサム・ノグチ庭園美術館 イサムがどうして牟礼に仕事場を構えたのかは下巻で詳しく語られている。当時の金子正則という連続六期つとめたワンマン知事が、画家の猪熊弦一郎と丸亀中学の同級生だったため、そのツテで香川県の県庁と体育館の設計を丹下健三に依頼した。丹下や猪熊とイサムは親しい仲であり、牟礼や庵治は良質の石を産出する土地だったこともあり(やはり世界的に知られた彫刻家・流政之の仕事場もあった)、イサム晩年の重要な拠点のひとつとなったわけである。 香川県立体育館と言えば、現在は閉鎖されているが(構造に無理があって崩落の危険があるものの補修工事ができないため)、小生は中学生のときあの船形の体育館で行われたバレーボールの県大会に出場したことがある。思い出深い場所。決勝戦で負けてしまったのでなおさら。 香川県立体育館を見る 一九五〇年、イサムは十九年振りに日本へ戻ってきた。そのくだりに東中野モナミが登場している。 《来日して最初の二週間、日本で勝手に組まれていた忙しいスケジュールを、イサムは喜んでこなした。日本アヴァンギャルド美術家クラブが主催した「イサム・ノグチ歓迎会」では、東中野のレストラン「モナミ」に約四十名が集まった。 その日イサムは、グレーの背広に黒のワイシャツ、胸のポケットには黒のハンカチをのぞかせた洒落た身なりで現れると、毎日ホールでの講演とは異なりリラックスした様子で二時間ほど質問に応じた。日本の抽象芸術を代表するアーティストたちとの出会いを心から喜んでいる様子で、彼はアメリカ人らしく気楽に握手の手をのばした。重い素材や作品をあつかってきたたくましい手に力をこめて、イサムは一瞬のふれあいで相手の心をつぎつぎとつかんだ。 日本美術界における「戦後」の象徴的存在となっていた岡本太郎とは、フランス語を共通語としてすぐ話がはずんだ。戦前に十一年におよぶパリ生活があるだけに、岡本太郎は日本という「村」を異邦人の目で観察していた。戦後の欧米思想においそれとくみしない免疫もあった。 日本アヴァンギャルド美術家クラブの歓迎会の次の日には、洋画家猪熊弦一郎らを中心とする新制作協会の歓迎会がつづいた。その翌朝である。日本アヴァンギャルド美術家クラブの歓迎会で、同クラブを代表して「歓迎の挨拶」をのべた画家長谷川三郎が、美術評論家滝口修造と連れだち、「美術手帖」誌(一九五〇・七)の仕事で、中野の野口宅にイサムを訪ねた。》(p23-24) 猪熊弦一郎がニューヨークへ渡ったのもイサムとの邂逅があったからだろうか。NYでも親しく付き合っていたようである。そうそう、マン・レイとも親しかったらしく上巻に何度か登場している。 『猪熊弦一郎のおもちゃ箱 やさしい線』
by sumus2013
| 2020-07-13 20:38
| うどん県あれこれ
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