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林哲夫の文画な日々2
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〈美しい本〉の文化誌

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臼田捷治『〈美しい本〉の文化誌 装幀百十年の系譜』(Book & Design、二〇二〇年四月二十五日、ブックデザイン=佐藤篤司)読了。まさにブックデザインの教科書というべき内容である。

〈美しい本〉の文化誌 装幀百十年の系譜

ここ二十年ほどの間に装幀に関する展示や書籍が数多く出版されてきた。紙の本の終焉が叫ばれるのと歩調を合わせているようにも思われる。本書は、その成果をしっかりと踏まえ、これまでの著者による「美しい本」追求の総決算のような趣に仕上がっている。

《わが国の近・現代装幀史の光芒をたどる初の試みであると自負するものであるが、あらためてその裾野の広さと分厚い歩みに感銘を深める。》(あとがき)

《これまでの装幀が内にたたえていた、世界的にも並びないに違いない豊穣な本質を総合的に検証すべき時が来ているのであり、本書がその内実を明らかにすることで未来を見通す一助となることを願ってやまない。》(同前)

未来を見通せるかどうかは読者しだいかもしれないが、その材料は、これ以上ないくらいに開陳されており、ある意味、百十年間におけるさまざまな時代の考え方が、作例とともに「言葉」のエッセンスとして示されている。要するに、多くの人たちの装幀に関する発言を丹念に拾って、ここぞという部分を抜き出して教えてくれる。そこからおのずから近現代における装幀の変化とそれにまつわる言説の変遷を(あるいは変わらない部分を)知ることができるのだ。この腑分けのメスの確かさが本書の読みどころであろう。

小生も装幀史に関してはそれなりに注意してきたつもりだが、いろいろと教えられることが少なくなかった。

例えば、

《一九三二年に刊行された未来派のリーダー、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティの詩集『未来派の自由態のことば』は金属板へのリトグラフ印刷であり、それを金属チューブで綴じるという特異な造本である。》(p127)

というくだりを読むと、どうしても佐野繁次郎の金属板を貼付けた『時計』(創元社、一九三四年)や小石清の『初夏神経』(一九三三年)との関係を連想してしまう。マリネッティにそんな詩集があったのかと思って画像検索してみると、それほど直接的に佐野や小石に影響を与えたようには見えないが、金属板を書籍に使うという発想そのものが時代の尖端であったことは分かる。

また書籍の用紙について論じた「装幀は紙に始まり紙に終る」も勉強になった。たしかに紙を選ぶということはデザイナーにとって最も重要な決定の一つである。そういう自覚を持つ、恩地孝四郎、志茂太郎、長谷川巳之吉、亀倉雄策、江川正之、野田誠三、細川書店らをマテリアルへのこだわりの観点から論じてこう結論するところなど、なるほど、そうだと膝を打った。

《こうして見てくると、用紙理解の深まりはわが国におけるモダニズムの定着とほぼ軌を一にしていたと要約できるだろう。先覚者たちの用紙への着目は、旧弊および旧来の美意識から脱け出ようとする「近代の意識」の所産であった。》(p143)

そういう意味で紙とその紙を開発したデザイナーとの関係はじつに興味深い。

原弘 
アングルカラー NTラシャ 新局紙

田中一光 
タント 里紙 Mr.B

矢萩喜従郎
ヴァンヌーボ

これらは今も使われており、ヴァンヌーボ、タント、里紙あたりは小生も頻繁に指定しているが、たしかに、そう言われてみると、紙の風合いの違いが時代相の違いを反映しているように感じられてくる。他に菊地信義の考案した紙というのも一時期よく使ったことを思い出す。

装幀家が装幀する本を読むべきか、読まないでもいいのか、この問題についても様々な意見が拾われており、非常に参考になる。人それぞれの方法論があり、読み込んだからいい装幀ができるわけでもない。そこが難しいところ。ただ、これは言えるだろう。

《「書かれている内容はおなじでも、活字や紙質、行間や天地の空白によって言葉の表情が変わる。組版の変更しだいで、最初の出会い以後、幾度も読み返してきたなじみのある世界が、大きく変容するのだ」》(p233)

堀江敏幸の『傍らにいた人』(日本経済新聞出版社、二〇一八年)からの引用である。本好きなら誰しもが感じることだ。これは言い換えれば、

《「組版の造形そのものに言語伝達の本質があるわけではありまあ[ママ]せん。けれども書体の形をはじめとする組版の造形には、時代の感性と技術、歴史の記憶、身体が感知する圧倒的な量の非言語情報が存在しています。テキストは、これら非言語情報によって『形』を与えられ、視覚言語としての機能を果たすことになるのです」》(p255)

という白井敬尚の発言(京都dddギャラリーでの個展冊子)になろうか。字や紙が変われば、同じテキストでも違う読まれ方をする・・・テキストの変容。いや、テキストというものを仮に「魂」とすれば、そもそも「肉体」がなければ存在し得ないわけだから、装幀(造本)こそがテキストそのものであると考えても何の差し障りもない。このあたり、真剣に突き詰めてもいいかもしれない。

時節柄、ぎょっとしたのは橋口五葉についてのこのくだり。

《残念なことに五葉は壮健な体質ではなかった。木版画家としての大成を待つことなく、流感がもとで大正十年(一九二一)、四〇歳の若さで彼岸に旅立った。》(p92)

流感というのはスペイン風邪の何波目かの流行だったのだろうか。みなさん、くれぐれも気をつけましょう。


by sumus2013 | 2020-04-21 21:20 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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