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我思古人

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昨年、善行堂で『我思古人』百部本の第九一番を入手した。本書のコピーを頂戴したときに内容は紹介しているので、詳しくはそちらをご覧いただきたい。

我思古人

我思古人その2

本書には田辺徹宛ての挨拶状が挟まれている。田辺は評論家で『回想の室生犀星』(博文館新社、二〇〇〇年)などの著書があるようだ。成安造形大学学長だったとも。コロナ隠遁中の気休めというか、ぼんやり眺めて一休みするにはもってこいの一冊。

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一琴一硯之斎



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我思古人


堀辰雄は徐文長について本書の「追記」でこう書いている。

《「我思古人」といふ印は明の末葉の詩人徐文長の手刻したものである。
 徐文長の伝記は袁仲郎全集に書かれてゐる由で、小山正孝君がそれを抄して送つてくれた。たいへん不遇な、苦しい生涯を送つた詩人らしい。(あとで鷗外漁史が既に「かげくさ」の中でこの不遇な詩人と独逸の詩人クライストとを比べてゐることを知つた。)その詩には一種の鬼気があつて、唐の李長吉をおもはしめるものがあるといふ。》

徐文長は書画にも巧みで小説も戯曲も書いている。青木正児にも「徐青藤の芸術」という一文があるそうだ。

《「我思古人」の印には、「己卯小春日、天池」といふ款がある。彼も晩年には書屋に藤を植ゑたり葡萄棚を作つたりして、その居を青藤書屋と名づけて、自適してゐた。その青藤書屋に池があつて天池と名づけてゐた。》

《「我思古人」といふのは詩経のなかの一句であるが、かういふ詩人の刻したものとすると、何か一層感じの深い語のやうに思へる。この印は私も一生大事にしてゐやう。》

先日取り上げた張岱「自為墓誌銘」じつは徐文長(一五二一〜九三)の「自為墓誌銘」にならったもののようである。

張岱は同郷の先輩徐文長に深く傾倒していた。いま残る『徐文長逸稿』二十四巻は、張汝霖(岱の父)と王思任(一五七五〜?)とが選評し、張岱が校輯したもの。その王氏の序(『王季重先生文集』巻二に載せる)によると、張元抃だけでなくその子の汝霖も徐文長と親しく交わっていたというから、岱も幼いときから、この人の並みはずれた文才と画才、そしてその奔放強烈な人となりについて、父祖から親しく聞かされていたことであろう。》(入矢義高『中国詩文選23 明代詩文』p187)

「奔放強烈な人となり」というのは本書の印形からも分かるような気がする。本書に付された徐渭(文長)の小伝に

《古文辞を善くし、書は則ち米芾を学んで行草に長じ》

とあって年初に掲げた米芾の拓本を思い出した。こちらもまた奔放であろう。

「西掖黄樞近東曹紫禁連」

by sumus2013 | 2020-04-17 20:22 | 古書日録 | Comments(0)
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