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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


総特集坪内祐三

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『ユリイカ』総特集・坪内祐三、読了した。分厚いだけでなくしっかりした内容なのでさすがに時間がかかった。坪内祐三の仕事や興味の範囲をほぼカバーするように見える人選が素晴らしい。

少しだけ希望を言えば、写真に対して一家言のあった坪内のことを、写真家の誰か(例えば北島敬三氏だとか)が語っていればさらに良かった(断られたのかもしれないが)。古本に関しては岡崎武志氏が坪内の古本度のディープさを示してくれている。それでもやはり誰か古書店主にも書いてもらいたかった(これはむろん打診したのだろうが、内堀氏は『本の雑誌』に書いたからと断ったと聞いた)。

そんなささやかな希望は別として、収録されているどの文章もそれぞれ読み応えがあったというか、気持ちが入ったいい文章が多かった。一志治夫「九〇年代の暢気だった日々」、浅羽通明「SF嫌いの矜持と寂寥ーー坪内祐三の思想について」、高山宏「「古くさいぞ私は」で始まると、マニエリスムになるーー坪内祐三追善」、長谷正人「坪内祐三における「死にがい」の探求と連合赤軍」などは印象に残るし、坪内の髪を十七年カットしつづけた美容師・大和邦恭「素直な髪」や大場純子「たどり着いたと思ったらまた振り出しに戻っているーー大相撲のこと」なども得がたいもの。

平山周吉「坪内祐三の「文学」が気になって」によれば、『エンタクシー』第三三号の特集「マイ・リトルプレス、思い出の小出版社そして雑誌」のなかで一九八〇年代生まれの編集者と書店員を前にしての誌上坪内レクチャーがあった。それはゴールデン街の「しん亭」の三階で開かれたらしい。(引用は改行のところ一行アキとした)

《「明石 せりか書房のリストを見ると、今でも在庫の生きてる本が多いですね。『ロシア・フォルマリズム文学論集1・2』とか、カイヨワも、バシュラールも、スタイナーの本も生きてる」

 坪内講義を拝聴している若者は、と確認すると、「明石陽介(青土社『ユリイカ』編集部・一九八六年生まれ)とある。なんだか見覚えのある名前だなとしばらく考えて、追悼臨時増刊号の原稿依頼メールをくれた編集者と同一人物だと気づいた。二つめの驚きである。坪内さんは九年も前に、自分の追悼企画を仕込んでいたのか。まさかそこまでは織り込んではいないだろうが、ゴールデン街の青線くさい部屋でリレーのバトンが渡されていたといえるのではないか。」

 坪内祐三にとって「文学」とは、を考えようとしていたのに、一冊の『エンタクシー』のために脇道に入ってしまった。坪内祐三が「文学」といった時に(文学に限らないが)、作家や作品だけを論じることはなかった。その時代背景や出版状況や交友関係や編集者という存在も同時に視野に収めていた。》(p42-43)

小生も一か二度(それ以上はない)、そういう若い編集者たちに囲まれた坪内とカラオケまで行ったことがある。坪内が頭角を現わす前後には坪内好みのかなり年上のシブい編集者や作家たちとつるんでいたことは坪内の『東京』など読んでいるとよく分かる。だが文壇に地歩を固めた当時は、すでに坪内チャイルドと呼んでしかるべき若者たちをひきつけていた。基本的に大変面倒見がいい性格なのだろうし、若い人が好きなのだろうが、何かしら「さすがだな」と思わせるところがあった。

ひょっとして《そこまで織り込んで》いたのかもしれない、と明石氏の入魂の編集ぶりを見て思ったしだいである。


***


【以下は2020年4月16日に投稿】

『ユリイカ 詩と批評』5月臨時増刊号(青土社、令和2年4月20日)届く。ぶ、分厚い・・・ノンブルは453まである!「総特集」の名に恥じないヴォリュームだ。装幀は細野綾子さん(拙著『古本屋を怒らせる方法』の装幀もしてくださいました)。いい意味でユリイカらしくない。

ユリイカ2020年5月臨時増刊号 総特集=坪内祐三

三月のはじめにてんてこ舞いしていたときの追悼原稿は本誌のためだった。『ユリイカ』に執筆できるとはこれまで一度として予想したことがなかったので、正直うれしいというよりも、不思議な感じ。『暮しの手帖』に寄稿して以来かな、このとまどい(『暮しの手帖』にも一度だけ書かせてもらいました。そういえば『季刊銀花』にも一度だけ)

巻頭は小沢信男さん、そして山田稔さんとつづく。これでなんだが少し安心した。お二人はよく存じ上げている。小沢さんの御宅にお邪魔したこともあるのだ(自慢です)。岡崎武志氏はもちろん、涸沢純平、中尾務、元『彷書月刊』の皆川秀、元東京堂書店の佐野衛の各氏など顔見知りの方々が寄稿しているのも心強い。他に坪内氏が引き合わせてくれたことのある平山周吉、安藤善隆、橋本倫史の各氏も当然ながら執筆している。

それら以外には、福田和也氏を初めてとして、当然書くべき人がそれぞれ工夫を凝らして、突然の訃報から時間が経った分、坪内祐三とはいかなる存在だったか、というところを掘り下げているように思われた。そこが『本の雑誌』の追悼号とは多少違うところだろう(人選もむろん異なるし)。とにかくも書誌や年譜を備えた『本の雑誌』と、じっくり論じるところまで迫った『ユリイカ』はちょうど相互補完の感じであろうか。今後、坪内祐三研究が進行するとしたら、基本文献になるに違いない。

まだ全部読んだわけではないが、武藤康史「そんじょそこらの研究者より……」は興味深い。筆致も書かれている内容も。坪内氏の紅野敏郎嫌いは知っていたが、どうしてなのか、わかったようで、わからない。その辺のツッコミがいい。

小生は「目利きの条件 「坪内祐三の美術批評 眼は行動する」を読む」と題して『週刊ポスト』の美術記事連載について書かせてもらった。このテーマは編集部からの指定だったので、その点に苦心したと言えば、苦心したが、資料協力してくださった方もあり(八年分の『週刊ポスト』バックイシューをチェックするというのが、案外たいへんな作業だった)、なんとか書き上げられた。いまはホッとしてます。

ぜひ読んでいたければと思います。


by sumus2013 | 2020-04-29 20:08 | 文筆=林哲夫 | Comments(2)
Commented by 雑誌狂 at 2020-12-30 12:06 x
『本の雑誌の坪内祐三』(2020年6月)に続き、本誌(2020年4月)を購入。  前者と異なり、60名以上の執筆者による追悼文で、「人間・坪内祐三」を多面的に回顧出来て有意義でした。何せ、出版業界関係者に限らず、女優(渚まゆみ)や相撲ファン仲間(大場純子)、贔屓の理髪店・美容師(大和邦恭)など、幅広い!   その中で『本の雑誌の~』と本誌に重複して追悼している人物を「坪内氏の盟友」と仮定するなら・・・福田和也、西村賢太、亀和田武の三氏による追悼には注目すべきかもしれません。

例えば、亀和田氏との対談「追悼の伝統を貫く『映画芸術』が偉い!」(『本の雑誌の~』)。曰く、坪内「・・・『映画芸術』は本当に一貫してますよね。・・・今こんな雑誌、ほかに成立しないでしょう。だから俺、早く荒井(晴彦)さんの追悼文を書きたいんだ(笑)・・・」 亀和田「坪ちゃん、自分がその立場だったらどうする?」 坪内「えっ、俺、長生き系だから(笑)」
→→実際には 坪内氏が先に亡くなり(1958~2020年)、荒井氏(1947年~)が存命なのですから、人生とは皮肉なものです。

一方の本誌(『ユリイカ』誌。やはり、亀和田武と壱岐真也の対談「散文家・坪内祐三」が出色でした。曰く、<坪内祐三はどこにいったのか><書かなかったものについて><ライバル・福田和也、あるいは―><”亀坪”の終わりとはじまり><坪内祐三の書いたもの>・・・亀和田「・・・彼の書いた重たい評論からポップなものまですべて含めて、そうか散文かと思うと、腑に落ちるね」
→→ 流石、同時代を生きた同業者(文筆家)と編集者(坪内番)による対談。この二人による「坪内評」に、一番説得力を感じました。
Commented by sumus2013 at 2020-12-30 13:41
早いものでもう一年になろうとしていますね。小生の触れなかったところに言及していただき有り難うございます。これから本当の坪内祐三の時代が始まるのではないか、と思ったりします。
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