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林哲夫の文画な日々2
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極私的坪内祐三

極私的坪内祐三_f0307792_17083123.jpg

坪内祐三『極私的東京名所案内』(彷徨舎、二〇〇五年一〇月一五日、ブックデザイン=奥定泰之)。

ウィリアムモリスでの個展のために東京へ出かけていた。スマホも持たず、PCもタブレットもない環境だったため、妻から宿にかかった電話で坪内祐三急死を知った。言葉を失った。まだまだ若いはずと思ったら、六十一だという。今年の五月で六十二になるはずだった。早すぎる。

初めて会ったのはいつごろだったのか、今、はっきり思い出せないが、最後に会ったのは二〇一八年のぽかんの集いのときである。「あ、林さんだ」「ご無沙汰してます」というやりとりをした。特段に調子が悪そうには見えなかったように思う。昨年のぽかんの集いでは坪内氏は来ておらず、佐久間さん(坪内夫人)に挨拶しただけだった。

坪内氏は『sumus』の創刊号「三月書房特集」が出たとき(一九九九)真っ先に取り上げて評価してくれた。『彷書月刊』へ『sumus』同人たちが寄稿するようになった一九九〇年代後半から二〇〇〇年代には、小生が上京するごとに小宴を張って、そこへ坪内氏も駆けつけてくれた。個展にも何度か来てくれ、その後、飲み会ということもあった。

一九九九年五月から六月にかけて銀座六丁目の肥後静江さんの空想・ガレリアで個展をやらせてもらったときには素晴らしい美女を連れてやって来た。

《坪内祐三氏、美女と現われる。美女は例の荒川さん担当の朝日の記者山脇さん。AREは面白いですねと言ってくれる。表紙を手描きする話などで盛り上がる。》(六月四日の日記)

山脇さんとあるのが後の坪内夫人である佐久間文子さん。坪内氏周辺の人はブンちゃんと呼んでいる。荒川さんは荒川洋治さんのこと。この記述からすると『ARE』の時代から知り合っていたわけだ。扉野君のコネクションだったような気もする。山脇さんがすらっと伸びた脚にぴったりと張り付いた明るい色のジーンズを履いていたのが目に焼き付いている。こんな新聞記者がいるのか、というカルチャーショックというか、驚きがあった。

一九九九年は、画廊に来てくれただけだったが、初めていっしょに飲んだのはどうやら二〇〇二年四月に六本木で個展をしたときだったようだ。それ以後、上京時には皆で集まって歓迎してくれるような感じになった。坪内氏は毎回別の親しい編集者を呼んで、小生に紹介してくれるようになった。これが坪内流の気遣いなのかと後で思うのだが、それらの編集者の方々とはあまりに住む世界が違うというのも小生にははっきり感じ取れた。

今回の滞在中に坪内氏をよく知るAさんとBさんのお二人と話し込む機会があった。お二人はごく内輪の通夜にもかけつけている。そのとき佐久間さんが、いちばんに語り出したのが八羽事件のことだったと聞いて、本当にビックリしてしまった。八羽事件は二〇〇七年三月に小生が東京美術倶楽部のアートフェアーで個展をしたときに起こった。例によってAさんからお誘いがあって八羽(神保町の居酒屋)に集まることになったのだが、そのときに一悶着があったのだ。その顛末については以前詳しく書いた。

2007年3月16日

この文章でDさんとなっているのが坪内氏である。佐久間さんはこのときのことがよほど気になっていたのだろう。この後坪内氏が宴席などで突然キレはじめるようになった、その最初の事件だった、と通夜の席で言ったというのである。当時の日記を探し出してみると、その事件について書いたページの間にスナップ写真の入った封筒がはさまれていた。それは二〇〇九年に五反田駅前の亜細亜という中華料理屋で集まったときのものだった。八羽の二年後である。坪内夫妻とAさんBさん、もう一人N君が写っている。写真に添えられた一筆箋に佐久間さんがこう書いている。

《先日はひさしぶりにお目にかかれて楽しかったです。今回は大惨事もなく・・・よかったです。》

大惨事とは八羽事件のことに違いない。たしかに、その写真の坪内氏はたいへん上機嫌、ニコニコしている。他の皆も何がそんない可笑しいのかというほどの破顔である。楽しかったという気分だけがよみがえる。

今回、Aさんが、どうしてあのとき坪内氏が急に立ち去ったのか、八羽事件の起こった原因を教えてくれた。それはここでは書かないが、やはり坪内さんらしい繊細な気質に由来するものである。

極私的坪内祐三_f0307792_17083759.jpg
坪内祐三氏 一九九七年頃

Bさんがコピーしてくれた集合写真から。AさんもBさんも若い。坪内さんもいい顔しているな。まだまだ仕事をし続けて欲しかった。

【2020年1月17日記】

* * *

極私的坪内祐三_f0307792_16315389.jpg

街の草さんより、本日(1月22日)『本の雑誌』No.197(本の雑誌社、一九九九年一一月一日)が届いた。この号の「坪内祐三の読書日記」が「『sumus』創刊号は素敵だよ」と題して創刊号の紹介をしてくれている。もちろん出た当時に買って郷里に置いてあるはずだが、この間の大掃除で処分してしまったかもしれないので有り難かった。

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やはり扉野氏からの紹介だったのだ(川崎長太郎研究家だったのか!)。こんなに絶賛してもらっていたとは・・・改めて感謝しかない。書肆アクセスの皆さんとともに『sumus』の恩人である。

街の草さんのメモが挟んであった。それによれば、お邪魔した日、

《ちょうど拾い読みしていて、「sumus」に言及したところに行きあたったので、送ります。この『本の雑誌』もひと束、会館の前に捨てられていて店に持ち帰ったのですが、拾っておいてよかった!》

とのこと。会館というのは神戸の古書会館であろう。捨てられているというのも寂しいものがある。



by sumus2013 | 2020-01-22 17:44 | 古書日録 | Comments(3)
Commented by 岩田 at 2020-02-10 10:22 x
余寒見舞い申し上げます。
久々に貴兄のブログを拝読。
小生の名前も出てきたのが
意外でした。
2007年の芝でのアートフェア東京での記憶、
私の後に黒岩さんがいらして少し被ったのを、
覚えております。
その夜神保町「八羽」で宴会があったのですね。
その時の坪内氏の行動が書かれてましたが。
小生も「八羽」へは、数回寄らせて戴きました。
確か、優しそうで気がいい女将がいたと記憶します(女将は確か足が悪いかったか?)
黒岩さんも坪内氏も黄泉の国へ旅立ってしまいましたね。
合掌。幕張メッセより。
Commented by sumus2013 at 2020-02-10 19:19
あの頃は楽しかったですねえ・・・いや、まだまだがんばりましょう。
Commented by 岩田 at 2020-02-10 20:09 x
Things Ain't What They Used Be.
「昔は良かったね」
和田誠さん選曲の
スタンダードジャズの曲が聴こえてきそうです♬
お互いお元気で頑張りましょう🎼
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