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書店の思い出

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George Orwell: ‘Bookshop Memories’


ジョージ・オーウェルのエッセイに「本屋の思い出」というのがある。『本の虫の本』(創元社、二〇一八年)で能邨陽子さんがその文章の一部を引用していた。

《ロンドンの古書店で一時期働いていたオーウェルも、本を探すお客さんについてこんなことを書いています。「残念ながらそのご婦人は、タイトルも著者の名前もそれが何についての本だったのかも忘れていたが、その本の表紙が赤色だったことだけは覚えていた」……》(「まぼろしの本」)

お客のあれこれ。当時の古本屋や貸本屋の様子がよく分かる。日本語にはまだ翻訳されていないようなので、気になったところだけ拙訳で紹介してみる(かなりはしょった意訳です、誤解があれば叱正を願います)。

古本屋というのはそこで働いた経験のない人が想像しているようなところではない。わたしの働いていた店にはいい本があった。しかし実際、良い本を知っているのは一割ほどの客にすぎなかったろう。文学好きよりも初版本目当ての客の方がふつうで、安い教科書を値切り倒す東洋人学生の方がさらにふつうで、甥っ子のために誕生日のプレゼント本を探している一向にはっきりしないご婦人方がいちばんありきたりの客である。

どんな古本屋にも恐れられる二種類の最悪のタイプの客がいる。ひとつは、毎日、ときには日に何度もやって来て、愚にもつかない本を売りつけようとする、すえた匂いをさせた落ちぶれたやから。もうひとつは、買うつもりもない大量の本を註文するやからである。わたしの働いていた店ではツケは一切受け付けなかったが、とにかく註文された本を脇に取りのけておく。引き取りに来る者は半分もいるかいないかというところである。どうしてなのか? 最初は全然見当もつかなかった。彼らは稀覯本を註文して「絶対に取りに来るから、くれぐれも取り置きよろしく」と懇願しておきながら、二度と姿を見せない。たいていは古本病患者(paranoiac)であり、どこそこで珍本をただ同然で見つけたとか、そんなホラ話を吹きまくるような奴らである。そんな古本病患者が現れたら、それは一目で分かるが、彼の註文した本を脇に取り置き、彼が出て行ったらすぐ本棚に戻すということをわれわれはやっていた。そいつらの内には、わたしの知る限り、誰一人として即金で本を持ち帰ろうという者はいなかった。註文するだけで満足したのだ。そうすることで、かれらは実際に本を買ったような気分になれたのだろう。

多くの古本屋と同じように、わたしの働いていた店も本以外のものを扱っていた。中古のタイプライターがあった。使用済み切手もあった。切手コレクターは少々変わっている。静かで、ぬめっとした種属(fish-like breed)で、年齢はさまざま、しかし男性のみ。他には日本の地震(関東大震災)を予言したと誰かが主張する6ペンスのホロスコープも売っていた。封筒入りなのでわたしはのぞいて見たことはないけれど、買って行った客は「当っていたよ!」と報告しに戻って来る(疑いなく、ホロスコープというのは「当っている」ものなのだ、もしそれが、あなたは異性に魅かれているとか、あなたの最悪の間違いは寛大さだとかという場合は)。子供の本も大量に扱っていた。いわゆる「ゾッキ本」(remainders)である。まだまだ今時の子供向けの本はひどい代物だ。個人的には、ピーター・パンよりもペトロニウス(「サテュリコン」の作者)の方がまだしもと思うくらいだ。クリスマス前には十日間ほどの繁忙期が来る。クリスマスカードとカレンダー。うんざりする品物なのだが、その期間にはよく売れるのである。

さらに、われわれの重要な副業は貸本であった。「2ペニー 預かり金なし」小説本、500〜600冊。これが本泥棒のつけこみどころだった。世界でもっとも簡単な犯罪。2ペンスで借りて、ラベルを剝がして余所の店へ持ち込むと、1シリングになった。にもかかわらず、本屋は、一般的に言って、本がある一定数(ひと月におよそ1ダース無くなった)盗まれたとしても、預かり金を取って客を減らすよりも、まだましだと思っていた。

店はハムステッドとカムデン・タウンの中間のはじっこにあった。准男爵からバスの車掌まで、さまざまな階級の客が出入りしていた。おそらく、わたしたちの店の購読者はロンドンの読書大衆の代表的な面を体現していただろう。店で最もよく出た作家は誰だろうか。プリーストーリー? ヘミングウェイ? ウォルポール? ワーズワース? いや、違う。デル(Ethel M. Dell)である。そしてワーウィック(Warwick)が二番でファーノル(Jeffrey Farnol)が三番。デルの小説はむろんご婦人方だけに人気があった、あらゆる階層と年齢のご婦人にわたって。男性が小説を読まないというのは間違いだが、男性が遠ざけるジャンルがあるのは本当だ。ありきたりの小説(the average novel)というものである。男性が読むのはリスペクトできる小説か、さもなければ探偵小説である。客のなかに週に四冊か五冊、毎週、何年間にもわたって探偵小説を読んだ人がいた。しかも他の店でも借りていた。驚いたことに、その人は同じ本は二度と読まない。これはとんでもない量である。彼はタイトルも著者名も憶えていないが、ちらっと表紙を見るだけで「これは読んだ」かどうかが直ぐに判断できた。

貸本業で人々の好みがよくわかる。びっくりなのはイギリス作家の古典作品はその「好み」からまったく完璧に外れていることだ。デッケンズ、サッカレー、ジェーン・オースティン、トゥロロープなど、置いても無駄だ。普通の貸本屋では誰もそんな作家を借りようとはしない。十九世紀の小説は全般に「古臭い!」と敬遠される。が、デッケンズを売るのはいつでもたやすい、シェイクスピアを売るのと同じように。デッケンズは読まれる意味があるのだ、聖書のように。他に目立った特徴と言えば、アメリカの本は人気がない。また、短篇集も不人気である。本を探している客が店の人間に言うのは「短篇集はけっこうです」あるいは「小さな物語はいらないわ」である。どうしてですかと質問したら、彼らは言うだろう、物語ごとにいちいち新しい登場人物を憶えなきゃならないから面倒くさい、と。

職業として本屋になりたいか? つまるところ、親切にしてくれた主人には申し訳なく、店員として過ごした日々は楽しかったのだが、答えはノーである。教育を受けた人間なら誰でも本屋としてつましくやっていけるだろう。稀覯本に深入りさえしなければ、そう難しい商売ではない。もし何らかあらかじめ本の世界に関わったことがあれば、ずっとうまく仕事を始められるだろう。また、それは極端に下品にはならない人情味のある商売である。独立した小さな本屋は、食料品店や牛乳屋がそうなるように、左前になることはない。しかし、働く時間はとてつもなく長いーー私はアルバイトをしただけだったが、主人は週に70時間働いていたーーそれは健全な暮らしではない。また、冬場の店はおそろしく寒い。なぜなら、店内が暖かいと窓ガラスが曇るからである。本屋は窓が命なのだ。また、本には不潔なホコリが、他のどんなものより、たくさん付いているし、本の天(the top of a book)は青蠅(bluebottle)たちが最も好む死に場所になっている。

しかし、わたしが本屋になりたくない本当の理由は、そこにいると、本を愛せなくなるからである。本屋は本について嘘をつく。そして本が嫌いになる。もっと悪いのは、つねに本のホコリを払い、抜き差しすることである。わたしも本当に本を愛していたときがあったーーその姿、匂い、少なくとも五十年以上経っている本に感じられるものが好きだった。田舎のオークションでそんな本をどっさり、たった1シリングで買ったときほど嬉しかったことはない。けれども、本屋で働くようになってすぐに本を買うのを止めた。大量に、一度に五千冊か一万冊も見ると、本がうっとうしく、ちょっと気分が悪くなる。今では、ときおり一冊、買うこともあるが、それは自分で読みたい本で、借りられないときに限られる。クズ本は決して買わない。古びた本の甘い匂いにはもはや何も感じなくなった。古本病患者たちと本の天で死んでいる青蠅たちが心に深く刻まれすぎたのである。

全文は下記サイトにて。

BOOKSHOP MEMORIES

by sumus2013 | 2019-11-29 20:01 | 古書日録 | Comments(0)
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