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風と共に去りぬ
Gone With the Wind - By Margaret MitchellMacmillan 1936
『タイトル読本』のトークイベントにしゃべれるか、どうかわからないけれども、かなり前に取り上げた『風と共に去りぬ』のタイトルについて調べてみた。 三笠書房一番のヒット作品は、言わずと知れた『風と共に去りぬ』https://sumus.exblog.jp/6521068/
風と共に去りぬ 速水憲吾著 代々木出版社 昭13 物語 風に散りぬ 阿部知二訳編 河出書房 昭13 風と共に去る 深沢正策訳 第一書房 昭13-14 風と共に去れり 藤原邦夫訳 明窓社 昭和14 風と共に去りぬ 大久保康雄訳 三笠書房 昭14 風と共に散りぬ 深沢正策訳 創芸社・近代文庫 昭28 速水憲吾のものはあらすじをまとめた冊子。これらに加えて最近 風と共に去りぬ 鴻巣友季子訳 新潮文庫 2015
が加わった。『タイトル読本』には鴻巣女史の「プライド」というエッセイが収められている(ジェーン・オースティンのタイトルについての考察)。それにしても阿部知二の「散りぬ」、そして深沢正策の「去る」から「散りぬ」への改変が気になるところ。これは意味が違い過ぎないだろうか? 原著は『Gone with the Wind』である。wiki によれば、マーガレット・ミッチェルはこの小説の最後の一行「Tomorrow is Another Day」をタイトルにするつもりだった。しかし最終的にイギリスの詩人アーネスト・ドウソン(Ernest Dowson)の詩「Non Sum Qualis Eram Bonae sub Regno Cynarae」から「Gone with the Wind」を取ったのだそうだ。 I have forgot much, Cynara! gone with the wind, Flung roses, roses riotously with the throng, Dancing, to put thy pale, lost lilies out of mind; But I was desolate and sick of an old passion, Yea, all the time, because the dance was long: I have been faithful to thee, Cynara! in my fashion. Non Sum Qualis eram Bonae Sub Regno Cynarae,[a] third stanza (1894). 普通名詞としては「cynara」(キナーラ)はアーティチョーク(チョウセンアザミ)のことである。次の行には芳香を放つ薔薇群の描写もある。ならば風で散ってもそうおかしくはないと思うが、Cが大文字だし、これは女性の名前とすべきであろう。だから「去りぬ」が正解ということになるようだ。 また、このドウソンの詩の長ったらしいラテン語タイトルもホラティウスの『オード』から引かれたものだそうで、どうやらタイトルというのは先人の名文句を頂戴するのがひとつのスタイルだったと思われる。 よく知られた例を挙げれば、レイ・ブラッドベリの『何かが道をやってくる Somthing Wicked This Way Comes』(1962)だろう。これはシェイクスピア『マクベス』の魔女のセリフ By the pricking of my thumbs, Somthing wicked this way comes. Macbeth Act 4, scene 1, 44–49 からいただいたものだ。そしてアガサ・クリスティもまたここから《By The Pricking of My Thumbs》をタイトルとした作品を書いている。『親指のうずき』(1968)。シェイクスピア、さすが。 ドウソンは三十二歳で夭逝した詩人だが、もうひとつ人口に膾炙した有名なフレーズを残している。 They are not long, the days of wine and roses: Out of a misty dream Our path emerges for a while, then closes Within a dream. "Vitae Summa Brevis" (1896). 「酒とバラの日々 Days of Wine and Roses」(1962)はブレーク・エドワーズ監督の映画。ジャック・レモンとリー・レミック演じる夫妻の悲惨な生活を描く社会派ドラマ。コメディアンとして知られたジャック・レモンは、この作品では、いかにも「アカデミー賞主演男優賞が欲しい」というシリアスな熱演を見せている。印象に残る作品だ。 書影はAbeBooks.comより。初版本なら数百万円の値段が付くようである。
by sumus2013
| 2019-09-25 20:42
| 古書日録
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