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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


英獨の戦ひ

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『英独の戦ひ』(青盛堂書店、大正三年九月二十日)。画作兼発行者=堤吉兵衛(日本橋区吉川町五番地)。印刷所=清美堂(東京市浅草区左衛門町一番地、岩見米三郎)。青盛堂書店を国会図書館で検索すると一九一二年から一九二二年までのタイトルがかなりヒットする。タイトルから判断すると児童書ばかりのようだ。本書の作りを見てもいわゆる浅草の「赤本」である。表紙は活版の網版のように見えるが、本文の線描は木版摺り、彩色は型抜きの手彩色ではないかと思う。

堤吉兵衛で検索すると、元は浮世絵の版元だったようだ。明治時代の初め頃から絵入りの戦記ものや教科書類、都々逸、講談本、絵本などを手がけていた。出版数はかなりの数にのぼる。

《青盛堂、加賀吉と号す。加賀屋吉兵衛ともいった。文化期から明治期に両国米沢町1丁目、後に日本橋吉川町で営業している。文政末期、歌川国芳による大判の錦絵揃物『水滸伝豪傑百八人之一個』が大好評であったことで知られる。》(ウィキ)

本書、大正三年九月発行ということは、第一次大戦が始まったばかり。日本政府がドイツに宣戦布告したのは同年八月二三日だ。ひと月と経っていない。本書には八図が収められており、それは「我が騎兵の突貫」「砲兵隊の前進」「独兵の逆撃」「独兵青島を死守す」「仏国の進撃」「独兵の苦戦」「我が飛行隊の爆弾投下」「我が艦隊の砲撃」と題されている。

ところが、実際の「青島の戦い」は一〇月三一日〜一一月七日なので、これらは戦闘予測図ということになる。「我が飛行隊の爆弾投下」とあるが、日本の戦争で初めて航空機が使われたのがこの戦いだった。日露戦争のような肉弾戦は行われなかった。素直に奥付の発行日を信用するとしたら、ニュースの先取りになっている(?)

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「仏国の進撃」「独兵青島を死守す」



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奥付/「我が艦隊の砲撃」


最後が砲撃で終わっている。青島入城でないところ、やはり予想図だったようである。赤本の仕事ぶりが分かる一冊だった。

by sumus2013 | 2019-08-30 20:16 | 古書日録 | Comments(0)
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