|
カテゴリ
全体古書日録 もよおしいろいろ おすすめ本棚 画家=林哲夫 装幀=林哲夫 文筆=林哲夫 喫茶店の時代 うどん県あれこれ 雲遅空想美術館 コレクション おととこゑ 京洛さんぽ 巴里アンフェール 関西の出版社 彷書月刊総目次 未分類 以前の記事
2022年 09月2022年 08月 2022年 07月 more... お気に入りブログ
NabeQuest(na...daily-sumus Madame100gの不... 最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
焼物雑記![]() 井伏鱒二『焼物雑記』(文化出版局、昭和六十年一月二十日、装丁=川島羊三)読了。久しぶりに井伏鱒二を読んだ。面白かった。最近はふたたび美術随筆が読みたいモードになっているのでなおさらだ。カラーの口絵写真も五点入っている。 焼物と言っても井伏は岡山出身ということで備前焼の話題が中心になっているが、結局のところ描かれるのは人間であって、井伏の人物描写はやはりひと味違うなとしきりに感心させられた。例えば「青柳瑞穂と骨董」だとか「庄野君と古備前」あるいは「硲伊之助の絵付」などである。 画家の硲伊之助も骨董好きだったようだが、空襲で家財をまるごと焼かれてしまった。硲の弟子の永井潔が師を訪ねたときの様子はこう描かれている。 《東京へ来るとすぐ白山の硲さんのアトリエを訪ねやうとしたが、その辺が焼野原になつて硲さんの行先が棒切に書いてあつた。そこを訪ねると、先生は自作の絵も蒐集品もすつかり焼かれたとのことで、所持品は小さな風呂敷包み一つだけであつた。それで永井さんの自宅へお連れすることにして、焼残りの街を二人で新宿の方へ歩いて行くと、ウインドの棚に中国の墨を置いてゐる古道具屋があつた。それを見つけた先生は、「すごい墨だ。なかなかいい墨だ。買へない墨だ」と興奮して、風呂敷包み一つしかない身でありながら、高い金を出してその墨を買つた。それから法外な金を出して、ドアにつける古めかしい把手を一つ買つた。「贅沢は敵だ」といふ標語のあつた時代だが、先生は墨をポケットに入れると「贅沢は素敵だ」と言つた。》(硲伊之助の絵付) 井伏らしいアバウトな書き振りで、この話をどこまで信じていいのやら迷ってしまうが、いかにも骨董好きにありがちな逸話ではある。それはそうとして、「贅沢は敵だ」というのは、正しくは「ぜいたくは敵だ!/日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!」であって昭和十五年の贅沢廃止運動のときに多数作られた立て看板の文句である。当時の庶民がその「ぜいたくは敵だ!」を皮肉って「ぜいたくは素敵だ!」とささやき合っていたのは事実らしい。むろん硲(や糸井重里)の造語ではない。そしてこれは花森安治の作ったキャッチコピーだと言われている(津野海太郎『花森安治伝』もそう推測している)。 「能登半島」という骨董旅行記に登場する青苔堂という骨董屋も興味深い。ただし、これは骨董屋としてあるが、どうやら秦秀雄ではないかと思われる。金沢や能登半島の骨董商やコレクターのところを巡って仕入れをする、というか、鑑定してしまう。そのやりとりがどうみても商売人ではない。 《唐津の茶碗。 「ちよつと小さいなあ。もすこし大ぶりだといいなあ。」 鼠志野の深向附。 「これでビールを飲むといいでせうね」と私が云ふと、 「あなたの識りあひの、青山二郎さんはこれで飲んでますよ」と青苔堂が云つた。 漢の花採獣耳壺。斗々屋茶碗。 これが出たとき若旦那は、 「この斗々屋は、松平備前守の旧蔵です。ーーちよつと失礼。」 と席をはづした。 青苔堂は斗々屋茶碗といふものについて、私と丸山君に簡単な説明をした。この手の茶碗は高麗茶碗と伝承されてゐるけれど、高麗が亡びて李朝の初めに焼成されたものである。井戸茶碗と同じく伝世のものばかりで、発掘品は一つもない。品位においては朝鮮茶碗の二流品に属するものである。 「この斗々屋茶碗は、しかし今出来です」と青苔堂が小声で云つた。 もう一つの漢の小壺については、これも小声で、 「あとで色つけしてある」と云つた。 そこへ若旦那が引返して来て「これは」と云つて宋窯の花瓶を出した。 「これはいい。しかし、少し青みがある。もつと純白でなくてはね。」 高麗水差。秋草の模様があある。赤、緑、藍の色が鮮明だ。 「これは、ちよつといい、直しが少しあるね。岡田さんは金があるから、売らんでもいいんでせう。」 赤絵茶碗。裏に「大巽宣徳年製」とあるから、宋代ださうだが、ひどいぶち破れである。 「鼠色がかつてる。焼が悪いんだね。私は九谷焼以前の伊万里がほしい。」 宋窯盃二箇。 「彫がいいと思へば焼が悪い。真白なら一箇五万五千円ぐらゐです」と青苔堂は丸山君に云ひ、「いろいろ掻きさがしてすみません。それに悪口ばかり云つて」と若旦那に云つた。》 とまあ、こんな具合でまだまだ続くのだが、さすがの呼吸で臨場感がある。骨董屋がこんな口をきくとも思えないし、後の方で青苔堂は「先生」とよばれてもいるから、やはり珍品堂主人ということでいいのではないかと思う。 むしょうに備前へ行って陶片が拾いたくなる一冊であった。
by sumus2013
| 2019-06-14 20:44
| 古書日録
|
Comments(0)
|


