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書棚と平台柴野京子『書棚と平台ーー出版流通というメディア』(弘文堂、平成21年8月15日)。「赤本」や「取次」など出版流通のについての論考を収める。その第三章「購書空間の変容」は本棚コレクターにとっては基本文献のひとつ。 近代日本の〈本棚〉史 以下、備忘のため本書より本棚の変遷について短い引用を連ねておく。 《一般書店に現在のような開架式の陳列が現われたのは明治中期あたりとみられる。それ以前は、本屋といえどもほかの商店と同じく畳敷、板敷の坐売りであった。》 坐売りが土間式に転じたのは 《書店において確認できたものでは神田神保町の東京堂書店、日本橋の丸善が最も早く、丸善が畳をリノリウムにかえて完全開架にしたのが[明治]三六年ごろである。》 《一部の和書肆を除けば、都市部の大型店でこの前後、遅いところでも昭和一〇年ごろまでには開架式が普及したものとみてよいだろう。》 《開架式の書店が坐売りに比べて画期的だったのは、店員が出してくるのを待っているのではなく、客が中に入って店にあるすべての本を見、ほしいものをみずから選ぶことができる点である。》 《ヘンリー・ペトロスキーの研究によれば、西洋でも書店で背表紙を手前に向けて縦に陳列されるようになったのは一八世紀後半のことで、それ以前は未製本のものがケース内に収納されているか、製本されていても重ねて「平積み」していることが多い。》 《小泉和子によれば、和本でも室町末期から書棚というものが独立してあったが、収納目的というよりも一種の飾り棚であって、納める道具としては箱や櫃が多く用いられていた。これは西洋でも同じで、書物が高価なこともあって、鍵のかかるトランクやチェストが使われていたようである。》 《近代の家庭用本棚に関する資料はごく限られるが、いくつかの断片をつなぎあわせてみると、一般家庭に本棚が普及したのは大正時代後半と考えられる。》 《人が他人の本棚に興味をもつのは、蔵書の内容や並べられ方から、個人の内面的な感心領域を窺い知ることができるからなのだ。個人のフィルターを通した本棚は、書店に並べられる領域とは必ずしも同一ではない、一つの秩序をもって再編成される。》 以上のまとめ。 《開架によって読者を店内に導きいれた書店は、数を増す出版物を棚に並べ、そこに分類という秩序を与えることによって読者の関心領域を名づけ、構造化させた。読者は選び出した本を読み、眺めたのちにそれを自分自身の本棚に並べなおすことで新たな感心領域を育て、書物が並ぶ風景は暮らしの中で日常化した。しかしながらいっぽうでは、近世から町中の露店や絵双紙屋で売られていた赤本的な娯楽読物を気楽に手にとる日常があり、この二つの日常は、一軒の書店の中にも棚と平台として共存し、独特の購書空間をつくりだした。》 もう一点、補充スリップについて書かれているところもメモしておく。 《非常に興味深いのは、この岩波文庫に補充スリップ(売上カード)が採用されていることである。補充スリップとは現在書店で流通するすべての書籍に搭載されているもので、売れた場合そこに書店印を押して取次に戻すと自動的に補充される短冊状の紙である。岩波文庫にスリップが入るようになったのは昭和五年のことで、『岩波文庫五十年』には「このカードによって小売店が売れたものを補充する際に、発注の手続きが著しく簡単となり、手数が省かれた。書籍販売に便利を与える新しい一つのアイデアであった」とあるが、松本昇平によると最初にこれを入れたのは大正一三年創刊の翻訳探偵小説シリーズ「アルス・ポピュラア・ライブラリー」であるという。》 ウィリアム・ル・クウー 青衣の乙女 アルス・ポピュラー・ライブラリー4 なお、この書影を見ると「アルス・ポピュラアー・ライブラリー」となっている。
by sumus2013
| 2019-05-10 16:20
| コレクション
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