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端午人形考『風俗研究』八十五(風俗研究所、昭和二年六月一日)。編輯兼発行者は江馬務(京都市富小路松原上ル)。風俗研究所は、主幹が江馬務、名誉幹事が吉川観方と小早川好古、幹事は正玄文平、若原史明、川那部澄、喜多川禎治郎、濱口左川、神田勇治郎、竹島信一、嘱託として石原雄峯と磯野眞太郎、助手が出口忍、である。 本号の巻頭文は江馬務「端午人形考」で、端午の節句について博く捜して考察を加えた論考である。ごく手短にその論旨だけをメモしておく。 起源は諸説ある 一、楚の屈原の死を悼む船の競争 二、東呉の呉子胥を迎える船の競争 三、越王勾賤の伝説 四、曹娥父子の伝説 いずれにせよ五月五日に競争をするという古俗で、陸上と水上と二種類あった。水上は競渡、陸上は雑草薬草を競い採る風習である。 我国へ輸入されて最初は推古天皇十九年五月五日、菟田野における薬狩り。万葉集の大伴家持の歌にも出ている。 かきつばた衣にすりつけますらをの きそひ狩する月はきにけり 聖武天皇は天平十九年五月に騎射走馬を観覧した。桓武天皇延暦年間からは毎年の行事となったらしい。宮中では毎年五月五日に騎射・走馬・楽奏が行われた。 平安朝末には宮中の尚武の儀式にならって民間で印地(石投げ合戦)の風俗が起った。このとき戦士が艾(よもぎ)を手に持つ例がある。これは薬草である艾で人形を作り、野外に捨てる風俗と関係があるのではないか。 以下江戸時代の例をいろいろ引いているが省略。結論だけ引用しておく。 《之を要するに、端午の人形飾といふものは競争の変化したものに外ならない。即ち競渡から薬狩、薬狩から競馬、競馬から騎射、騎射から薬草の兜、薬草の兜から木兜、木兜の人形から武者人形、武者人形から具足、武器と変転し来たつたので事が物となり、抽象から具体に、武技から祝福へと進転したのであつた。》 ということは、端午の節句の意味というのは、男の子は、薬草をもって、競争しろ(戦え)ということになるわけだ。
by sumus2013
| 2019-05-07 20:51
| 関西の出版社
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