人気ブログランキング |

林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


PEOPLE HAVE THE POWER

f0307792_16261619.jpg

PATTI SMITH「PEOPLE HAVE THE POWER」(Arista Recods, 1988)。パティ・スミスの12インチシングル。ジャケット写真はロバート・メープルソープ。パティの最初のアルバム「HORSES」(1975)もメープルソープの写真で飾られている。二人は一時期カップルだった。







近年、パティ・スミスと言えば、ボブ・ディランの代役で出席したノーベル賞の授賞式で「A Hard Rain’s A-Gonna Fall」歌ったのが印象に残っている。歌詞を忘れて、ごめんなさい、と言っていたところが良かった。






メープルソープと言えば、アートシーンへのメープルソープの登場はショッキングだった。彼の存在は、ギャラリー・ワタリでの展示(1983)を見て図録を買った記憶があるので、それまでには知っていたはず。『美術手帖』の追悼号(一九八九年六月)はよくできていたと思う。その少し後に買ったのが下の図録『ROBERT MAPPLETHORPE』(Bulfinch Press・Little, Brown and Company in association with Whitney Museum of American Art, 1990, 5th printing)。ホイットニー美術館での回顧展(1988)のために製作されたものでハードカバー版もあるようだ。この本は神戸に住んでいたとき、元町の丸善で買ったのではないかと思う(新刊で!)。当時は、よく丸善の洋書コーナーをぶらついては立ち読みしていたのである。

f0307792_16260849.jpg


f0307792_16260531.jpg
「Horses」のジャケットに使われた写真(右)


本書によれば、ロバートとパティが出会ったのはまったくの偶然だった。Ingrid Sischy「A SOCIETY ARTIST」より拙訳。訳しにくいところは適当にごまかしておいた、お許しを。

《詩人でミュージシャンだったパティとの初めての出会いについてメープルソープの回想は共鳴できるものである。それは魔法のようなつながりをもたらす魔法のような始まり、夢、神話そして歴史となる関係、である。その物語が具体的にどのようにして始まったかについてメープルソープはこんなふうに話してくれた。「地下のアパートメントにいたときだった。彼女は道路から僕の家にふらりと迷い込んできた。ちょうど僕は眠っていて、目を開けると、そこにいままで会ったことのない人がいたんだよ。彼女は誰か他の人を探していて、僕のところに来たんだ、ドアが開いてたから。知ってるでしょ、60年代だったんだよ、ヒッピーたちは誰も鍵なんかかけなかったんだ。》

《少し前に、私はメープルソープと、自信をもたせてくれた人間について話していたとき、彼はスミスについてこう言った。「僕たちは一晩中起きていた。彼女は彼女のことをし、僕は僕のことをして、そして一休みとなったとき、タバコを一服して、互いの作品を眺めたのさ。これがめっちゃ良かったよ。彼女は僕がやったことを認めてくれる一人の人間だった。》

《その頃「彼らのやっていたこと」というのはドローイング、落書き、宝石、絵やオブジェによるコラージュで、スミスは陶芸もやっていた。アイデアを生み出し、二人が通過するべき道にパンくずの印をつけ、それを見つけること。それは、アーティストとしての表現に特別な空間を作り出そうとしているとき、自分のまわりで探し出そうとしている種類のものだった。スミスとメープルソープは精神的な同志であり、アウトロー仲間だった。その後すぐに、彼らは町の新参者[new kids in town]仲間になって、インサイダーになった、アウトサイダーとしてのアイデンティティを持ちつづけながら、二人はいっしょにジョン・マッケンドリィ(John McKendry)やサム・ワグスタッフ(Sam Wagstaff)のような、彼らの人生に重要な役割を担う人々と知り合いになったのだ。》

マッケンドリィは写真家でメトロポリタン美術館の写真部門のキュレーター。ワグスタッフはキュレーターでありコレクターでメープルソープと出会ってから、それまでの絵画コレクションを処分し、写真、とくに無名写真家に注目するようになったそうだ(wiki)。出会いが全てを決めて行く。

by sumus2013 | 2019-03-22 20:32 | おととこゑ | Comments(0)
<< 関路鶯 余白の研究 >>