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見捨てがたきもの

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秦秀雄『見捨てがたきもの』(文化出版局、昭和四六年五月二五日)。これはみつづみ書房にて。秦秀雄は井伏鱒二『珍品堂主人』のモデルである。

魯山人経営の高級料亭星岡茶寮支配人。号は珍堂。明治31年(1898)福井県三国町に生れる。北大路魯山人に抜擢され星岡茶寮支配人となる。その後目黒の驪山荘を経営、昭和18年伊東温泉に疎開以来、古美術の探究と鑑賞に専念する。》(コトバンク)

『ミセス』と『銀花』に連載した文章をまとめた一冊。内容は掘出し自慢以外の何物でもない。それはそれで潔いほどである。ちと文明批判がうるさいのが欠点。そこはスルーして読めば、自慢話も楽しく読める(基本的に骨董や古本の自慢話が好きです、青柳瑞穂の本とかね)。

魯山人はもちろん、柳宗悦や青山二郎(チラリと)、白洲正子も登場する。骨董商やコレクターも実名で書かれているのでいっそう興味が湧く。秦秀雄のモットーらしきフレーズをいくつか引いておく。古本者と基本は同じ。

《市井のそこここに隠されたなんでもない凡器の中に、魅力ある古陶がある、それを見つけ出す目、それが鑑賞の目というものだ》

《美術の鑑賞に口先だけの批評なんぞはあるべきじゃない。よければ買って自分のものにする。》

《私は見て歩く。しかし気にいったらいつでもなんでも買ってくる。それが私の鑑賞の心がまえ、態度だ》

《私は私の好むところのものを感興のおもむくままに自由自在、道草をくいつつあゆんできた一散歩者にすぎない。》

面白いと思ったのは、自分の持ち物を他人が欲しがっても、気に入ったものは絶対誰にもやらない(売らない)という態度。まず、谷崎潤一郎夫妻に汁椀を所望された例。伊豆伊東温泉に疎開していた戦時中のこと。谷崎は熱海に居たのでひんぱんに秦宅の天然温泉風呂に入りに来たという。食事を供することもしばしばだった。

《そして先生は、お椀をいかにもうらやましそうに見て、あればどこかで手に入れたいというようなことをもらされた。しかし戦争の最中、お椀さがしでもあるまいと、私はすっかり断念し、先生にもあきらめていただいた。》

その後、ある美術商が疎開してくる。秦宅へ根来のお椀十客を提げてやってきた。

十客ある椀だから、五つは谷崎さんの懇望依頼にこたえてお知らせすべきだとは思いもしたが、売りに行くようで気がさして、ついそのままにし、無精をきめこんでしまった。

微妙な書き方である。売らずに進呈すればいいじゃないか、と思う。谷崎がただでもらうはずもないだろうし、何らかの返礼はあるだろう。結局のところ、谷崎に渡したくなかった、自分だけで楽しんでいたかったに違いない。川端康成夫妻を招待したときも同じようなことがあった。鍋料理をふるまった。

《そのとき出して使った鉄なべを、ご夫妻は感心してながめ、どこで買ったらいいものか、どうしてさがしたらいいものか、そんなことを根掘り葉掘りして尋ねられた。そのころの私は食器に道楽をしていて、なべも大小さまざまのものを五つ六つ持っていないではなかった。
 夫人のいかにもうらやましそうな顔を見て、「一つ進上しましょう」とのどもとまで出かかった言葉を押えて進上しなかったのは、一つ一つすがたが変わっていて、一つ一つ大きさが違っていて、用途により、客数により、どれ一つもわが家から欠かすことができない、という欲心があったからであった。》

ここでは正直なところを吐露している。

本箱が登場しているので写真を掲げておく。

《仙台だんすの古いのを都内の骨董屋でさがしていると、さがし物は見つからないで、古い本箱が見つかった。幅一メートルもあろうか、高さはもう少しありそうな、小部屋にはうってつけのしろものである。総桐の一枚板の木目が綺麗に浮き出た、目だたないが小粋な材料を正直に苦心して使っているのが気に入った。扉に鉄金具が付いていて、鍵もかかる仕掛けになっているが、今はやりの民芸調のいかつい武骨さが感じられない。》

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あとがきのような文章「ものを見る目」(上にここから短い言葉を引用した)に老子が引用してある。

《「無欲にして見ればその妙を見るべく、有欲にして見ればそのかたはしを見るべし」とは老子開巻第一のことばである。知識の目、分別の目では人も自分も自然も物も、茶わん小鉢ひとつもその真相は見えて来ない。有欲、いくらするか、大きさは、重さは、どこにあったか、高くなるものか、等々、そんなこんなの欲目で人を見ても物に対してもそのワンサイドがのぞき見されるだけで全体の霊妙の姿、形は了解されるものではあるまい。

知識や欲得でなく無心で接しなければ本当の姿は見えてこない・・・批評家、知識人を批判する言葉として用いているわけだが、ただし、老子『道徳眞経』原文の冒頭は以下の通り。赤字が秦の引用した部分に相当する。

道可道,非常道。名可名,非常名。無名天地之始,有名萬物之母。故常無欲以觀其妙。常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。》(諸本対抗道徳眞経

秦のように理解しても部分的には間違いとは言えないだろう。しかし、老子が曲者なのは《此兩者同出而異名》と続けているところである。言っても名前が違うだけ、ルーツは同じ。無欲で内面(核心、本質)を見、有欲で外面(形、物質性)を見る。内面と外面は切り離せない、そういうことかもしれない。

by sumus2013 | 2019-03-03 20:38 | 古書日録 | Comments(0)
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