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林哲夫の文画な日々2
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アンヂェラス 閉店のお知らせ

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浅草の喫茶店アンヂェラスが三月十七日をもって閉店するというニュースがあちこちに出ていて驚く。ホームページで発表したとのことで、確かめてみると、なるほどそう掲示されている。


上の写真は『ARE』第六号(一九九六年八月二〇日)「洲之内徹という男」特集のために撮影した一枚。洲之内にゆかりのあるアンヂェラスの外観である。これを撮影したのは同じ年の三月八日だった。日記によれば、東京へ着いてすぐにここへ向かった。銀座での個展(イケダヤ画廊)に合わせて上京したのである。

《銀座線にのりかえて浅草まで。アンヂェラスという喫茶店をさがす。すぐに見つかったので写真をとって、スケッチする。店に入ってブレンドとアンヂェラスのチョコ(アンチョコ)を注文する。ホワイトチョコのものもある。森芳雄に少女像がいいかんじ、原精一の à Paris とサインが入った裸婦、猪熊弦一郎の墨デッサン、誰のかわからない静物と、風景。内装はセゼッション風というのか、中世風なかんじもあるアールデコでまとめてある。外装はティンバーもどきである。洲之内徹の趣味というか、彼の青春時代の面影が残っているにちがいない。二人いるボーイさんがなかなか浅草らしくていい。

以上は日記の記述。『ARE』第六号にはこう書いている。

《都営浅草線あさくさ駅で降り、1番出口を出るとすぐ雷門がある。記念撮影に余念がない観光客を後目に雷門から二本目のオレンジ通りを右に少し上ると右手に喫茶店アンヂェラスが見えてくる。黒塗りの壁面に森芳雄作「テラスの女」。他にも鳥海青児、原精一、猪熊弦一郎などの佳作が並んでいる。
アンヂェラスというケーキが売物で、コーティングにチョコレートとホワイトチョコレートの二種がある。いかにも浅草という初老のボーイさんに珈琲とチョコのアンヂェラスを注文する。セゼッション風の洒落た内装にボーイさんのしわがれ声が響く。
「アンチョコ一丁!」
『気まぐれ美術館』に入っている傑作エッセー「絵を洗う」はこの店が舞台。》

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洲之内徹『気まぐれ美術館』(新潮社、昭和五十三年八月二十五日)に収められている「絵を洗う」からアンヂェラスのくだりを引用してみる。

《千束町を通って馬道から公園に入り(公園といってもいまはどこが公園か判らないが)、時間が早くてまだ開いておれば、区役所通りのアンヂェラスという喫茶店でコーヒーを飲む。いつの年だったか、そこで俳優の小沢栄太郎氏を見かけたことがあった。小沢氏は女優さんらしい若い女性を三人連れていたが、三人共、稲穂のついたお守りの小さな熊手を簪のように髪に差していたから、やはりお酉さまの帰りだったのであろう。
 お酉さまの日に限らず、私は浅草へ行くと、いつの間にか、気が付くとその店に入っているという具合で、アンヂェラスでコーヒーを飲むのは、これはもう半ば無意識の、条件反射みたいなものになってしまっているが、いつからそこへ行くようになったかは思い出せない。

洲之内はアンヂェラスに森芳雄の油絵「テラスの女」あるからこの店に入ってしまうのかもしれないと述べて、鎌倉の近代美術館で開かれた森芳雄麻生三郎展に出品されていたその絵を見て、画面がたいそう汚れているのが気になった。そこで森芳雄に頼んで、店に連絡してもらい、その絵を洗いに出かける。

その途中でかなりひどい交通事故の現場を見かけた、その情景を細かに述べた描写を挿んでいるのが、洲之内の芸であろう。

アンヂェラスへ行くと、三階の空いた部屋が仕事場に用意してあって、私は店から絵を外してもらい、まず八号の裸婦の絵から洗いにかかった。用意してきた上等の石鹸でぬるま湯の薄い石鹸水を作り、これまた持参の、洗い晒しの柔らかなガーゼで洗うのだが、水を入れるために借りた容器は、商売柄、サラダボールであった。森さんの絵はマットな絵肌だから、あとからニスをかけて絵肌を調えるわけには行かない。石鹸が絵肌を荒らさぬよう、石鹸水は最初の一回だけで、その石鹸分を残さぬように、あとは真水にとり換えて何回も洗う。初めの二回くらいは、ボールの中の水が醤油みたいな色になった。

《帰り際に、店主の沢田さんが出てきて幾ら払えばいいかと訊いたが、私が要らないと言うと、沢田さんは、ケーキの詰め合わせらしい箱の包みを、私と福島さんとにひとつづくれた。らしいというのは、その私のぶんも、新橋の駅で別れるとき、福島さんにあげてしまったからである。独り暮しの私が詰め合わせのケーキを持って帰ってもしようがない。しかし、考えてみれば福島さんにしても同じで、二つもケーキの箱を貰っては困ったろう。》

この後が本題である。素人が絵を洗うなんていうのはやらない方がいいに決まっているが、専門家にもあてにならないやつがいる。X氏という男で、絵を洗うどころか、勝手に描き変えてしまうのである。ある時、預かったロートレック(という触れ込み)の小品を、風呂敷画商(店をもたないで商売している画商)に渡したところ、その男がX氏にクリーニングを頼んでしまった。もどってきた絵は

《洗っただけではない、人物はもとより、ところどころ板の生地を見せて塗り残しのあったバックまで、ベタ一面に色を塗って、おまけにとろとろにニスがかけてある。これではとても絵は返せない。私は途方に暮れ、Xの非常識に怒っている隙もなかった。》

洲之内はあわてて自らペトロールを含ませた脱脂綿で表面の油絵の具を落としにかかった。預け主から電話がかかってくる。居留守をつかう。なんとかかんとかほぼ現状にもどったところで電話に出る。預け主が取りに来る。覚悟を決めて、包んだばかりの包みを解こうとすると、預け主は急いでいるからと中身を見ずに帰って行った。土曜日の午後だった。日曜は画廊は休みである。ペトロールの匂いがプンプンしているのだ、すぐにバレる。生きた心地はしない。何しろ四百万円で売るという絵だから。月曜日に電話がかかってきた。意外なことに「お蔭さまで絵が売れました」というものだった。

《私はガックリするほど安心し、しかし、まだ気味が悪かった》

X氏が死んだと聞いとき、洲之内はこう思った。

《うれしいと言っては言葉が過ぎるが、とにかく、なんとなく安心した。これで、本物の絵が偽物になってしまうというようなことも、いくらかは減っただろう。》

ひさびさに読み返して、面白いなあ、と感服した。

by sumus2013 | 2019-02-19 17:37 | 喫茶店の時代 | Comments(4)
Commented by 小林一郎 at 2019-03-08 21:30 x
林さんの記事でアンヂェラスが閉店することをお知りました。
吉岡実も通った名店がなくなるのは寂しいことです。
本日3月8日、行ってきました。
ケーキは工場で作ってもすぐに売れてしまい、
行ったときには品切れでした。
ダッチコーヒー(濃厚!)を喫して帰りました。
いずれ、拙サイトで詳しく報告したいと思います。
Commented by sumus2013 at 2019-03-09 08:21
歴史が長いだけに多くの人たちに惜しまれているようです。吉岡実も通っていたんですね! レポート楽しみにしています。
Commented by 小林一郎 at 2019-08-31 11:51 x
ずいぶん間があいてしまいましたが、アンヂェラス探訪記を拙サイトにアップいたしました(8月末の定期更新)。
《喫茶店の時代》の著書をお持ちの林さんにこのような作物をご覧いただくのは、はなはだ面映ゆいのですが。
ところで、吉岡は随想で「イノダのコーヒー」と書いてますが、店名の方は「イノダコーヒ」というのですね。
Commented by sumus2013 at 2019-08-31 16:36
拝読しました。小林様ならではの記録に感謝です! アンヂェラスと吉岡、う〜ん、なるほど、しっくりきますね。
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