林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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淡窓詩話

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広瀬淡窓『淡窓詩話 約言或問』(岩波文庫、昭和十五年二月三日)。長壽吉の「序言」によればかつて頼山陽は淡窓に向かって「海西の詩は、享保の餘習をうけて陳腐熟套のみなり。ともに詩を云ふべきは、足下と竹田のみなり。」と言ったという。海西は九州、竹田はむろん田能村竹田のことである。九州に詩人は淡窓と竹田だけしかいないぞ、と。巻末年譜によれば山陽が淡窓を訪れたのは文政元年(1818)淡窓三十六才、竹田が淡窓を訪れたのは七年後の文政八年(1825)だった。

淡窓は生来虚弱だったため、講学をもって身を立てたが、その学塾は大変に盛況であって、弟子の数は五十年の間に四千六百人余になったという。以前その合同詩集を紹介したことがある。

『冝園百家詩初編』

《先生の生涯は実に平々坦々たるもので、当時文運隆盛、詩文の人東都京洛の間に、来往繁く、又辺境漸く騒然たる頃、終始山間の日田に在つて、読書専ら自省琢磨の生涯を送つたのは、尋常のなし得るところではない。》(長壽吉)

本書ではそのような境涯について淡窓自身が語っている。

《門下詩人ノ多キコト、是レ予ガ詩ヲ好ムヲ見テ之ニ倣フナリ。予強テ之ヲ勤メシニ非ズ、亦秘訣アリテ之ニ傳ヘシニモ非ズ。今且予ガ詩ヲ好ム所以ヲ談ズベシ。経ニ、君子無故琴瑟不離側ト云フコトアリ。先儒其事ヲ論ジテ曰ク、今時ノ儒生琴瑟ヲ學ブニ暇ナシ。之ヲ學ビタリトモ、和漢聲音ノ同ジカラズ。古人ノ琴瑟ヲ玩ビシ程ニハ、心ニ切ナラズ。故ニ古詩ヲ諷詠シテ心ヲ慰メ、琴瑟ニ當ツルニ如クハナシト。予少キヨリ深ク此説ヲ信ズ。平生多病ニシテ、心思鬱悶スルコト多シ。此ノ如キ時ハ、必ズ古詩ヲ諷詠シテ思ヲ遣ルナリ。心思憂苦スル時ハ、古人ノ思ヲ神仙ニ寓シ想ヲ雲霞ニ寄スルノ作ヲ詠ジテ、心中ノ鬱滞ヲ盪滌ス。》

《予嘗テ曰、詩無唐宋明清。而有巧拙雅俗。巧拙因用意之精粗。雅俗係著眼之高卑。ト。予ガ詩ヲ論ズル、此外ニ在ルコトナシ。故に詩ヲ學ブ者ハ、務メテ其才識ヲ養フベシ。才ヲ養フハ推敲鍛錬ニ在リ、識ヲ養フハ古人ノ詩ヲ熟讀スルニ在リ。》

《今ノ人詩ヲ作ルニ急ニシテ、詩ヲ讀ムニ遑アラズ。故ニ才餘リアリテモ識足ラズ。古人ニ及バザル所以ナリ。》

《三都ノ市中ニ住スル者ハ、山ヲ見ルモ水ヲ見ルモ、容易ニ得ガタシ。田園邱壑ノ樂ハ、生涯得ベカラズ。故ニ其詩モ、或ハ贈答ヲ専ラニシ、或ハ詠物ヲ務ム。是レ勢ノ免レザル所ナリ。我輩幸ニ田舎ニ住シテ何事ヲ言フモ勝手次第ナリ。何ゾ彼等ガ不自由ナル境界ヲ羨ミテ、其口角ヲ摹スルコトヲセンヤ。》

日田と言えば、近年豪雨によって大きな被害を蒙った地域である。たまたま上の写真にあるように「木都 日田案内」というパンフレット(発行=ヤブクグリ、平成二十五年十月十六日)が出てきたので並べてみた。それによれば《大分県日田市は古くから林山地、木工業の町として栄えてきましたが、この町はいま、全国的な林業の衰退とともにひと頃のにぎわいを失くしています》とか。

しかしながら往時の日田はただの田舎町ではなかった。ウィキによれば寛政十六年(1639)に江戸幕府直轄地となり、更には貞享三年(1686)年以降は、大名ではなく、幕府が任じた代官が直接支配する土地となった。それにより三都に倣った町人文化が繁栄し商人たちは大名貸の金利などで莫大な利益を上げた。俗に日田金(ひたがね)と言ったそうだ。淡窓の弟である六世広瀬久兵衛も治水工事など数々の公共事業に資金を提供したという。病弱な淡窓が本ばかり読んでいられたのも、そういう財政的なバックボーンがあってのことだった。

淡窓の詩学は、そういう意味で多少の自己完結的な弱点もあるように思えるが、同時に洞察や感覚を独自に研ぎすますという良さもある。例えば、こんなところは同感できる。

《佳句ハ多クハ景ヲ寫ス句ニアリ。然レドモ景ヲ言フコト、一首ノ中ニ多クスベカラズ。多キ時ハ人ヲシテ厭ハシム。情ヲ主トシテ、景ヲ以テ其間ニ粧點スベシ。例之バ、前庭ニ樹木ヲ植ウルハ景ナリ。空地ハ情ナリ。樹木多クシテ空地ナキハウルサシ。空地アリテ樹木ナケレバ、玩賞スベキ物ナキガ如シ。》

また、あるいは、

《邦人唐音ニ通ゼズ、故ニ音節ノ異同ヲ知ルコト能ハズ。唯漢人ノ用法ニ於テ、其多クシテ且正シキモノヲ選ンデ、之ニ従ハンノミ。》

とあるのなど、幕末における漢詩の行き詰まりがはっきり見える見解ではないだろうか。

by sumus2013 | 2019-01-05 20:53 | 古書日録 | Comments(0)
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