林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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真間

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  冬ざれやどの舟からも夕烟

  寒木瓜や筆師の店の昼さがり

  新築の遊女屋みゆる冬田かな

  客ありて灯る座敷や花八つ手

  大雪に茶屋のぞめきや女橋


猪場毅『真間 
伊庭心猿著作集』(善渡爾宗衛編、我利我書房、二〇一八年一二月三一日)読了。亥年に紹介する一冊目が猪場毅というのもゴロがよろしい。年末に届いて以来、じっくり愉しませてもらったが、なんとも味わいのある随筆が揃っており、ぜひ普及版で編み直してもらいたいと思わずにはいられなかった。

真間 -伊庭心猿作品集-

本書巻末に付された杉山淳「「伊庭心猿作品集」解説」より猪場の経歴を簡単に紹介しておく。

伊庭心猿。富田木歩の弟子として、宇田川芥子の名で、活動を開始し、後年、平井呈一とともに、荷風の偽短冊、偽色紙の制作や売りさばきにかかわり、荷風の問題作「四畳半襖の下張」流出の犯人といわれた、猪場毅その人でもある。

猪場毅は、一九〇八年、東京日本橋に生まれ、父親の別宅が玉の井にあったことから、しばしば、俳人富田木歩の経営する貸本屋を利用していた。あるとき、木歩から句作の誘いがあり、それに応じたことから、猪場毅の文学との接触がはじまる。このとき、わずか十四歳である。猪場毅は早熟の人だった。その後、木歩から宇田川芥子の俳名をもらい、不良仲間といっしょに木歩になんらかの被害を与え、破門されるまで、木歩の弟子として短期間活動した。猪場毅は、自身を俳人と規定したらしく、波乱万丈な生涯をおくるなか、俳句とは常にかかわりつづけた。

木歩に破門されて各地を放浪した。その時期のことははっきりしない。大正末から昭和初めにかけて佐藤春夫の門下となり、和歌山に住んで南紀藝術社を設立、雑誌『南紀藝術』(全十冊)の編集にあたった。東京に引き上げて同人雑誌に小説を発表したようだが、はっきりしたことはわからない。本書には伊庭春夫の名前で発表された小説、評論なども収録されている(猪場毅=伊庭春夫かどうかはまだ決定的な証拠はないようだが)。昭和十三年頃、永井荷風と親しくなり、平井呈一とともにアシスタントのようなことをするようになる。そして上記のような偽作を始め、さらにはもっと悪質な行為に及んで荷風から絶交された(この破門についてはかなり詳しく考察されているのでぜひ本書を参照していただきたい)。

戦後は雑誌『真間』(六冊)を発行し、また諸家の代作や辞典校勘に携わったという(燕石閑人「也哉艸叙」)。二年間の闘病の後、昭和三十二年二月二十五日、肝臓癌のため死去。本書に収められている単行本覆刻は以下の四種である。これらがなんとも味わい深い。

『繪入東京ごよみ』昭和三十一年十月 葛飾俳句会
『墨東今昔』昭和三十二年二月 葛飾俳句会(此君亭蔵版 私家版)
『心猿句抄 やかなぐさ』[句集也哉艸]昭和二十六年六月(私家版 非売)
『やかなぐさ』[也哉艸 伊庭心猿句抄昭和三十一年九月 葛飾俳句会(此君亭蔵版 私家版)

他に俳句撰、随筆拾遺、「真間」文集。宇田川芥子文集、「南紀藝術」あとがき、伊庭春夫文選、そして富田木歩の「芥子君のこと」「貸本屋のはなし」二篇を収める。本書を実現させた方々の「自分だけの作家を持つ楽しみ」が伝わってくる、ある意味、驚くべき一冊である。

古本屋が登場する一文があった。引用しないでは居られない。

《「ごめんください」
 「どなた?」
 「文林堂です」
 勝手知つた庭口の木戸をあけて、蓬髪の男がはいつてくる。自転車で来たのか、日に焼けた額に汗が流れてゐる。
 この人、日本橋本小田原町の生れで、中学では俺の後輩。だから、ただの客と商売人との関係以上のつきあひである。家は父親の代まで、ずつと魚河岸の顔役だといふ。永年勤めた神保町の本屋をやめて、この土地ではじめて店をもつた時、肝心の本棚がいつぱいにならないので、多くもない俺の蔵書をごつそり持つてゆき、函と中身を別々に並べてやつと開店したといふか笑ひ話もある。そんな仲なので、たいがいの無理はきいてくれるし、また向うが困つた時には相談にものる。
 「どうですか?すこし元気がでたようですね。ーーさつぱり荷が集らないので、また少し無心に来ました」
 荷とは古本屋仲間の用語で、同業者が市に持つてくる品のことである。
 「無心はこちらがしたい位だ。けれど一向に貯らないよ。読まないし、買はないし……」
 「どのくらゐにしますか?」
 「女房も伜も働きだしたから、さうさ、当座三千円もあればいいよ」
   中略
  彼は書棚から一冊づつ抜きとり、中を改め、馴れた手つきでパタンと音をたてて閉じ、傍らに積んでゆく。三冊、五冊、十冊、十三冊で止つた。幸に、こちらに愛着のある本は無事である。
   中略
 「へえ、驚きましたね、あの引込思案の人がね。ーーでは、これだけになりますが如何でせう?」
 「いいさ、助つたよ。またちよいちよい顔を見せてくれよ」
 古本屋が去つたあと、うろぬきになつた書棚を眺める。そして、漠然と本を数えてみる。いちばん上の段には三十二冊、次の段は三十六冊。全部で八段だから、目分量で三百冊くらゐある。みんな処分すれば、ざつと五万円にはならう。まづ当分は、さうあわてなくてもよろしい。》(「青い林檎八月十八日の私記」『馬酔木』昭和三十一年十月)

とこんな調子である。略したところの会話がまたいいのだが、長くなるので。引用した俳句はいずれも『心猿句抄 やかなぐさ』より。

 誰彼のいま亡しときく炬燵かな



by sumus2013 | 2019-01-02 21:18 | おすすめ本棚 | Comments(4)
Commented by 某氏です。 at 2019-01-03 22:12 x
こういう一冊が発行されるというのがすごいですね。石川桂郎『俳人風狂列伝』を読んで、心猿その人については、「なんだかなあ」と思っていたのです。木歩から破門されたという話は、はじめて知りました。
Commented by sumus2013 at 2019-01-04 08:34
よくぞ、ここまで、という感じです。『俳人風狂列伝』ではあまり印象に残らなかったのですが、本書でみると、なかなかの人物だと思います。
Commented by 杉山淳 at 2019-01-04 21:07 x
佐藤春夫の長編「わが妹の記」の主人公が、猪場毅がモデルであることがわかりました。読まれた方からの指摘です。荷風「来訪者」と対になる作品です。
Commented by sumus2013 at 2019-01-05 08:22
猪場毅についてもっと知りたいです。今後のさらなる発見・発掘を期待しております!
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