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林哲夫の文画な日々2
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APIED VOL.32

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『APIED』32号(アピエ、二〇一八年一一月一二日、表紙装画=山下陽子)届く。寺山修司特集。そんなに熱心に読んだり観たりしたことは、個人的にはないのだが、短歌の鮮やかさに舌を巻いた出会いの印象は褪せようもない。

金沢一志「月とレコード」は北園克衛との関係について。これは寺山の逆鱗のありかを示唆している。

《寺山修司は北園克衛傘下で三年ほど詩作した。年齢でいえば十八歳から二十歳、入退院をくりかえしていた早大入学後の黎明期、九條今日子による「寺山修司・以前」のことである。》

なるほど、あの砂糖菓子のような一群の詩は北園直伝のものだったのか(!?)。しかし、だからこそ寺山は近代詩のアンソロジーに北園作品を決して選ばないのだ。さらに北園のもとで書かれた自作は『われに五月を』(作品社、一九五七年)に収録されてはいるが

《いずれも大きく改変されていて、初出を留めている詩はひとつもない。》《そしてこの本そのものが、生前に編まれた年譜や著作一覧のほとんどから外されている。八〇年代に企画された全集では一冊まるごとが収録対象外で、没後に刊行された『寺山修司全詩歌句』(思潮社、一九八六)にも採録されなかった。》

というのだから、消し去りたい過去だった。人は誰でも自分の本当の姿を目の当たりにしたくないもの。とは言え、師弟関係を切り捨ててしまった、というわけではなかった。そこが複雑なところ。北園の詩の展覧会には寺山の姿があった。

《会場ではテープ音楽の聴取から8ミリ映画の上映、即興の演奏がおこなわれて、だれも詩の展覧会とは思わない。六〇年代、そんな奇妙な会場を寺山修司が多忙を縫ってひとりでおとずれ、北園克衛と交歓する光景がしばしばみられた。もごもごとあいさつする寺山に皮肉交じりに活躍を褒める北園克衛、ふたつの人影はどこからみても典型的な師弟のそれであったという。

いや、面白い。他に赤塚麻里「寺山作品から見る青森言葉へのこだわりー『マイ・フェア・レディ』と『舞子はレディ』の方言に着目して」もなかなかいいところ突いている。タモリの寺山修司のものまねを思い出した。

「善行堂通信」は「せとうち文学叢書」と『詩ぃちゃん』について。


中尾務氏より『VIKING』861号を頂戴した。氏の「〈はか[二字傍点]のゆかぬ〉久坂葉子本出版富士正晴調査余滴」が久坂の死から始まる富士正晴の久坂本出版における難行を丁寧にたどった労作。

春日井ひとし氏より『昭和八年文学者のいる風景その9 昭和八年の織田作之助(下)三人と『三人』』を頂戴した。前号のつづき。竹内勝太郎をめぐる青春群像が丹念な資料の読み込み作業によって再現されている。こちらも力作です。

矢部登氏より『田端人』第五冊を頂戴した。東京を歩きそして本を歩き絵を歩く、これ以上ない境地である。毎度いただく度にいつの日か小生もこんなものを出してみたいと思わせられる(サムデイ・ネヴァー・カムという声がどこかで・・・)。

大阪圭吉単行本未収録作品集1 花嫁と仮髪』(盛林堂ミステリアス文庫、二〇一八年一一月二五日)届く。表題作が面白くてついつい一気読みしてしまった。大阪圭吉の長編が読みたくなる。


by sumus2013 | 2018-12-02 21:45 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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