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天文学と印刷印刷博物館で開催されている「天文学と印刷」展の図録を求めた。某氏がこれはいいですよと推奨してくださったのである。実際、興味の尽きない図版がズラリと並んでいて、実物が見たくてたまらなくなった。 天文学と印刷新たな世界像を求めて図録そのものも凝りに凝っている。上の写真は筒箱(タイトルは表と裏に分かれているため表側は「天文学」だけ)。下が本体。表紙は黒い平滑な紙に天文学に関する図版を散らし金色で刷ってある。拡大鏡で見ると金色一色ではなく、赤いアミがかかっている。筒箱の方は銀色の紙に白あるいは明るい灰色で印刷している。なかなかにゴージャス。バインディングは、いま流行りの、背を露出したスイス式製本。これは開きがいいのでこの種類の図版中心のレイアウトにはもってこいだ。 ざっと目を通してみて、天文に関して最も印象的だったのはティコ・ブラーエの観測所だ。本書所収の石橋圭一「天文学者と印刷者の境界線」より。 《デンマークとスウェーデンの間、エーレスンド海峡にあるヴェーン島。1576年、デンマーク国王フレデリク2世によって彼の地を与えられたティコはウラニボルクとステラボルクと名付けた観測基地をつくり、観測活動を行なった。》 この島にはウラニボルク(天の城)、ステラボルク(星の城)の観測所だけでなく図書館、錬金術の実験室、薬草園、観測機器の製作のための工房もあった。そして1584年には印刷所も設けられた。校正の便と秘密保持を目的としたのである。しかし印刷機を導入したはいいが、上質な紙が手に入らず、印刷は思うようにはかどらなかった。そこで、ティコは紙も自分で作ることを考えた。 《当時における製紙所の主要な設備とは、紙の材料となるリネンを繊維へと解きほぐす打刻用の水車を設けることであった。しかし、島内に川は存在しないため、人工の貯水所を大小複数設け、水路でつなぐことで代用した。水流の終点となる島内南西側の岸には水車小屋を設け、高低差を利用し水車を回す仕組みをつくりあげた。》 《ヴェーン島の面積はおよそ7.5k㎡。ティコ・ブラーエの観測所はほぼ中央に位置している。施設の建設と維持に費やした費用は「金1トンを超える」という。島民は島内北西に住居を構えていたが、ティコは絶対君主として過酷な課役を負わせていた。》 金食い虫のティコ・ブラーエはデンマーク王の交代によって、あっさりと放逐されてしまう。それでも二十五年間にわたり好き放題な観測活動を享受できた。その観測データはこの後ケプラーへと受け継がれて行く。このふたりが観測と推論から導き出した自然法則は「惑星の軌道が円ではなく楕円である」ということだった。アリストテレス以来誰も疑うことのなかった「惑星の軌道が円である」という考えを崩したのである。個人的には、それがどうした・・・という気がしなくもないけれど、ティコは楽しかったろうなあ。
by sumus2013
| 2018-11-19 21:22
| もよおしいろいろ
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