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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


梵雲庵雑話

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淡島寒月『梵雲庵雜話』(書物展望社、昭和八年十一月十九日、限定版一千部)。状態やや難ありなところから、少しばかり安く入手した。書物展望社らしい凝った造本である。それについては、巻末、斎藤晶三「編纂を終へて」にこう書かれている。

《翁の好みにちかい幕末から明治初期への草双紙類の袋を、実物のまに貼混ぜてみることにした。これは何時とはなしに蒐集して置いた絵袋が、積り積つて千枚ちかくもなつてゐたので、翁の装幀には相応しからうと利用した。従つて亦一枚も同じ装幀を見ぬことになつたが、こんな計画は再び出来ることではないと思ふ。》

斎藤晶三は本の袋を集めていた! 下は帙。タイトルも仏像も木版摺りのようだ(?)。題字は會津八一。

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《見返しの絵馬は、別項にもあるが、翁が日頃向島の弘福寺境内に住つてゐた頃、技[ママ、枝]折戸などにかけてあつたもので、在庵の時は居るの意味で猪の面を掲げ、不在の折にはゐぬで犬の方を出して置いたといふ風流のものを、翁の偲草として出して見た。》(同前)

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《寒月翁の画やその趣味も、この父から承け継がれたやうである。翁の住居となつてゐる梵雲庵も、椿岳晩年の遺業にかるもの一つであつて、三畳の翁のアトリエは、その最も数寄を凝らした一室であつた。が、さらに翁の代になつて壁画が加へられた。
 翁の居間につゞいて、奥まつた納戸のやうな部屋があつて、この二間には翁が六十余年間の蒐集品が、うづ高く積み飾られてゐた。翁の座右では古風なガラス棚が中心となり、納戸の方では古い大長持が主人顔して中央におさまつてゐた。
 アトリエには爐が切つてあつて、翁と対座して二三人も入れば身動きもできないほど、蒐集品や翁の作品などで一ぱいになつてゐた。だからよく縁側に日向ぼつこをしながら筆を執つてをられた。》(山内神斧「淡島寒月翁」本書所収)

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《さて以上述べて来た椿岳時代からの由緒深い梵雲庵も、大正十二年の大震災に、山をなつ蒐集品と共に、一つ残さず灰になつて了つた。漸くかけつけられた息子さんが、玩具千種の原稿と、そこに掛けてあつた翁の袴と十徳を取出したゞけで、身一つで逃れられた。はじめのうちは火事の事など念頭にもなく、弘福寺の前の空地に、家族の人々と地震を避けてゐられた。所が午後の四時頃突然に、思ひがけない火がすぐ先の家から出て、またゝくうちに梵雲庵も火焔に包まれたさうで「其時は私も一緒に火の中へ飛び込んでしまひたいやうな気がした」と話しておられた。(同前)

《地震後小半年ほどの間、息子さんたちと麹町紀尾井町に移つてをられた。其所から私の家とは、ものゝ十町とは離れてゐなかつたので、その間にはよくお目にかゝつた。
 さうして半月とはたゝないうちに、もう何処からか獨逸の玩具を見つけて来ては、床にかざり、絵筆に親しんでゐられたが、梵雲庵の翁を想へば、実に涙ぐましい気がした。今から思ふと元気さうではあつたが、震災以来、内面的にはかなり衰へられたかのやうに思へた。》(同前)

同じく本書に収められている内田魯庵の「淡島寒月翁のこと」は同じ震災後の逸話を

《地震ですつてんてん[六字傍点]にして了つたが、如何に玩具に熱心だつたか一例を挙げて見ると、震災直後、麹町に避難して居るのを訪ねると、サイダーの箱に、家財のごた〜〜したのを入れたのを見せて、これだけ焼け残つたと云つて居たが、其の箱の中から、玩具七八点出して、これは二三日前に麹町の夜店で買つたものだと云つて喜んで居た。震災直後何をなくしても、玩具を先づ買つて歩いたのは面白い。》

と書き、最後にこう締めくくっている。

《兎に角斯う云ふ人はもう出ないと思ふが一人位あつてもよいと思ふ。》

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山内神斧「淡島寒月翁之印象」(木版手摺)


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奥付




by sumus2013 | 2018-10-23 17:22 | 古書日録 | Comments(0)
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