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林哲夫の文画な日々2
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le clebs

le clebs_f0307792_17040949.jpg

『ル クレップス le clebs』(ル・クレップス、一九八四年六・七月号)。発行日、発行所名は明記されていないが、編集部の住所は京都市左京区松ケ崎一町田町10-3。巻末にこうある。

《クレップスは、日本人とフランス人によって、京都で出版されている定期刊行物(隔月刊)ですが、東京、パリ、長崎、カンペール(フランス北西端にあるフィニステール県の県庁所在地)でも販売されています。刊行方針は、自分の興味を引く事柄について発言したいと思う人に、その機会を提供し、日本人がフランス人を、フランス人が日本人を、発見できるようにすることです。》

「クレップス」は知らない単語だった。検索してみると犬(=chien、cabot)という意味。どおりで表紙右下に「わんこう」と書かれている。

表紙はバルチュス展の広告みたいになっている。当時、日本では京都市美術館でのみ開催された。初回顧展だったため東京からわざわざ見に来た知人が何人もいた。

バルテュス展

ただ本書の記事はイザベル・シャリエ(Isabelle CHARRIER)の「親和力ー京都でのバルチュス」とバルチュス自身の抗議文「誤解をさそうイメージ」のみ。イザベルは一九五一年生まれ、この後、一九八八年にパリ第四大学で考古学の博士号をとっており、日本美術専攻。

《バルチュスは京都を非常に愛した。親和力は両者を永遠に結びつけている。》
《バルチュス展覧会は20年前に彼と出会った一人の日本の芸術家の尽力により開かれる。師と弟子、これも選択親和力による。》(訳:宇敷伊津子)

弟子というのは節子夫人のことであろう。

バルチュスの抗議文というのも興味深いものだ。画家はニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれた自身の回顧展に対して、とりわけ図録の内容について不満をもらしている。

メトロポリタン美術館とジョルジュ・ポンピドー・センターが共同企画として回顧展を開くことになったとき、作家にはまったく何も相談がなかったそうだ。

《準備段階で相談をもちかけられて当然だと思っていた。ところが間接的な筋から私が聞いたのは、このような場合、美術館のポリシーとして決して作家には相談もしなければ、連絡もとらないということだった。とくに私は作品の選択に関して相談してほしかったと思っている。》

《図録の校正が私のところに正式に送られてきたことはなく、私はたまたま見たにすぎないのだが、その内容は膨大な量の、詳細にわたる私の経歴であり、そのほとんどがまったく関係のない、非礼に満ちた虚像であった。また私の制作過程や技法に関する、いわゆる"テクニカル・インフォメーション"は、単なる想像にすぎないことがしばしばであった。》

《ゆがめられた事実、間違った日付、根拠のない憶測などがあいまってテキストを無数のあやまちだらけのものにしており、そのため美術に近付くには背景の情報や経歴などが役に立つと信じこんでいる人々にさえ、誤解を与えることになっている。》

《作品は作家を語るものではない。作品が語るのは瞬間、瞬間のビジョン、平凡な外見の向う側にある現実、子供のように心をときめかせなくてはならない現実なのである。》

和訳がやや不正確なような気がするが(翻訳者名なし)、とりあえず大きな間違いはないようだ(この雑誌の記事はすべて和文仏文併記)。たしかにバルチュスの主張も解らないではない。しかし美術館が作家に相談しないのはある意味当然だという気もしてくる。例えば、もし経歴について相談を受けていれば、バルチュスはこう答えただろうと言う。

《バルチュスはその人となりについては何も知られていない画家である。だから彼の絵を見ようではないか。》
 Balthus est un peintre dont on ne sait rien. Ceci dit, voyons ses tableaux.

「作品は作家を語るものではない Les tableaux ne décrivent ni ne révèlent un peintre」と矛盾しているようでもあり、作品だけを無心に見よという気持ちはよくわかるような気もする。ただ、作品も経歴も一人歩きするもの、いくら歯ぎしりしても無駄なような気もするのだ。あるいは、今話題のバンクシーのような覆面画家になるしかないのかな・・・?


by sumus2013 | 2018-10-16 20:18 | 関西の出版社 | Comments(0)
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