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林哲夫の文画な日々2
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やちまたの人

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涸沢純平『編集工房ノア著者追悼記続 やちまたの人』(編集工房ノア、二〇一八年九月二八日)読了。

例えば、源氏物語「葵」には、葵が絶えたのちの様子を描いたなかにこういうくだりがある。

《人の申すに従ひて、いかめしきことどもを、「いきやかへり給ふ」と、さまざまに、残る事なく、かつそこなはれ給ふ事どものあるを、見る見るも、盡きせずおぼし惑へど、かひなくて、日頃になれば、「いかゞはせん」とて、鳥邊野に、ゐてたてまつるほど、いみじげなること多かり。こなた・かなた御送り人ども、寺寺の念佛の僧など、そこら廣き野に、所もなし。》(『源氏物語(一)』岩波文庫五十六刷より、繰り返し記号は繰り返しに換え、傍注は省いた)

鳥邊野は墓所。おおよそ現在の清水寺から大谷本廟、今熊野、阿弥陀ヶ峰(新幹線のトンネルが通っている山)あたり一帯を指すようだ。「送り人」の「送る」は死者を葬るという意味で万葉集にも用例がある(映画「おくりびと」が話題になったのは二〇〇八年)。たまたまこのくだりを読んでいたから、ということもあるのだが、本書の次の文章にギクリとした。

《時を経て、私は大阪で、編集工房ノアを、一九七五(昭和五十)年九月、二十九歳で始めた。
 翌年、港野喜代子詩集『凍り絵』を出版(三月二十五日)、港野と二人、宣伝のため新聞社回りをした日の夜(四月十五日)、港野は風呂で心臓マヒを起こし、死んだ。六十三歳だった。
 結果的に港野の最後の詩集を出版したこと。それだけでは無念であろうと思い、小野十三郎、上野瞭、永瀬清子各氏の編集委員で『港野喜代子ー詩・童話・エッセイ』を五年後(一九八一年九月)出版し、編集・出版は、とむらい事だな、と思った。》(雪の寝床)

港野喜代子については前著に詳しいが、涸沢氏に出版のスタート時から「とむらい事」の自覚があったというのは、むろん必然的にそうなったにしても、これは驚きを禁じ得ない。出版とは鎮魂の歌なのか。

涸沢純平『編集工房ノア著者追悼記 遅れ時計の詩人』

四十年以上にわたって、数多くの出版物を生み出し(!)そしてそれらの著者を送りつづけた。足立巻一、庄野英二、川崎彰彦、島田陽子、宗秋月、杉山平一、塔和子、大谷晃一、鶴見俊輔、伊勢田史郎、松廣勇、東秀三、そして三輪正道。本書にはそれぞれの人物について涸沢氏でなければできない回想がつづられて、こちらの勝手な思い込みを正してくれたり、新たな側面を教えてくれたりするのだが、結局それは涸沢氏自身の私史としても読める。それはある意味当たり前のことかもしれない。今後それらのディテールが関西文学史に果たす役割の大きさを思ったりもする。

遅れ時計の詩人』では「移転顛末記」が絶妙だったが、本書では自らの失敗と成功を対照させて描いた「欠損と表彰」に散文家としての筆の巧みさを見る(『海鳴り』で初めて読んだときの「痛そう!」という読後感をふたたび思い出した)。

by sumus2013 | 2018-10-08 17:37 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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