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林哲夫の文画な日々2
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小松砂丘

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牧野伊三夫『俳画家小松砂丘さんのこと』(福光屋、二〇一八年九月一四日)を頂戴した。牧野氏が金沢で出会った俳画家小松砂丘についてそのあらましを述べておられる。

小松砂丘とは何者か。金沢では知られた存在のようだが、小生は初めて聞く名前だった。

《砂丘は、石川県珠洲郡(現珠洲市)、能登半島の先端で生まれた。そして、一九七五年(昭和五十年)に亡くなるまで石川県に住み、金沢の街を拠点に俳句を詠み、絵を描き、器に絵付けをして過ごした。父は仏師で、仏像を彫ったり描いたりする仕事をしていたが、この父と十一歳のときに別れ(この別れが、死別、離別等どういうものであったか判明しない)、十三歳のときに市内の松井というところへ木地挽き物師の弟子入りをする。》

《ここで砂丘は、ノミやカンナの刃の研ぎ方を教わり、炊事や子守の手伝いもしながら、十年かけて一人前の木地師となった。昔ながらの丁稚としての職人修業である。俳句もこの頃から詠みはじめたらしい。絵の方は大正時代になってから、野村満花城という俳画家について学んだというから、十五歳頃、やはり木地挽き物の修業中である。二十三歳で母親と暮らしはじめ、以後没するまで金沢市内に住んだ。二十四歳で富山に近い倶利伽羅村(石川県河北郡に存在した)の女性と結婚、一男四女をもうけた。

牧野氏は福光屋で売られていた砂丘の徳利を見たのが砂丘の仕事にひきつけられるきっかけだったという。砂丘は、その徳利を、昭和四十三年に福光屋の社屋新築記念の配り物として数万個、すべて手書きで絵付けしたそうだから、これは驚きである。

牧野伊三夫展 小松砂丘へのオマージュ 九谷焼 徳利、盃など

小松砂丘 心ひかれるモノ

ずいぶん いいもの みつけたね 金沢#13 福光屋

砂丘の仕事は牧野氏にストレートに通じるところがある。もうすぐ牧野氏の個展がメリーゴーランド京都で開催されるので楽しみにしている。

牧野伊三夫 展
​「京都に、美術同人誌 『四月と十月』の扉野良人君と青木隼人君に会いに行く。そして、ゆにさんとげんさんの歌を聴く。」​


俳画ということで、下のような色紙を紹介しておきたい。其中と署名があるが、誰なのかわからない。そう古いものではないと思う。読みにくいなあ・・・

f0307792_17260758.jpg
 [文友]
  名月や
   心下ヤか
        海と山
          其中[其中]


「心下」は「みぞおち」か。下の句は「海登山」と読んだが、どうでしょう。



by sumus2013 | 2018-10-03 21:06 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)
Commented by 岩田和彦 at 2018-10-21 06:48 x
おはようございます。
昨夜は懐かしく愉快な一夜となりました。
ありがとうございました。
私も来月六十路仲間入りです。
これからも宜しくお願い致します。
アッ!急なお誘い恐縮でしたが、奥方にそこのところ宜しくお伝えください。
でわ又。
Commented by sumus2013 at 2018-10-21 17:05
久しぶりでゆっくりお話しできましたね。まだまだこれからです。お励みください。
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