林哲夫の文画な日々2
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教行信証

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親鸞自筆の「行信証(板東本)」(東本願寺蔵)から「信巻」の序(『蓮如と本願寺 その美術と歴史』展図録、京都国立博物館、一九九八年、より)。

いつ頃だったかはっきり覚えていないが、もう三十年くらい前になるだろうか、京博の展示室で親鸞自筆の『教行信証』(『顕浄土真実教行証文類」が正式な名称)を目前に見た。むろん国宝(昭和二十七年指定)なのでガラスケースの中である。京博のサイトでは過去の展覧会は一九九七年までしか遡れず、そのなかには思い当たるものがない。大きな展覧会ではなく小特集のような展示だったのかもしれない(読者の方よりご教示いただいた京博の図録のバックイシューで見ると一九八三年の古写経展であろう)。とにかく、その筆致にビックリしてしまった。なんだこりゃという感じだった。

見ての通り、例えば能筆として有名な空海のような、中国から学んで帰った王道の書という風では全くない。どちらかと言えば、学者のノート、草稿だ、と思った。『教行信証』だけでなく他にも親鸞自筆の書き物が展示してあったような気もする。『蓮如と本願寺』図録に載っている図版では、親鸞自筆の「阿弥陀経註」(西本願寺蔵、下図)に類するものだったかもしれない。下図は親鸞が法然(源空)と出会ってから越後へ配流になるまでの間に筆記したノートである。すなわち二十九歳〜三十五歳の間に成ったと推定されている。物凄い勉強ぶりだ。

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四方田犬彦『親鸞への接近』によれば

《親鸞は生前、『教行信証』を執筆していることを、ほとんど誰にも告げなかった。ひとたび完成し、弟子の尊蓮や専信に書写を許したことはあったが、彼の死の直前にいたるまで加筆と改訂を続けていた形跡がある。彼の死後、この大部の理論書の存在は秘密のままに置かれ、それに言及する者はいなかった。記録を信じる限り、最初に『教行信証』を講述したのは存覚である。》(『歎異抄』のスタイル)

とのこと。存覚の講述は一三一一年のことだというから親鸞歿(一二六二)後四十九年を経ていた。

ただし板東本には親鸞自筆で「釈蓮位」と書かれており、秘書のような存在だった弟子の蓮位に付与したらしいことが分るので、誰にも見せなかったわけではないようだ。そして七十五歳のときに尊蓮が校合した一本があったことが知られており(伝存せず)、八十三歳のときに専信が書写したものは現存最古の写本とされる(岩波文庫版『教行信証』金子大栄の解説による)。

漢文を和文に書き改めた延書本は覚如、存覚の時代からあるものの、南北朝時代の写本は一本しか現存せず、室町時代に至ってようやく数多くの写本が作られるようになり現在まで伝えられている。徳川時代には四回刊行された。寛永、正保、明暦、寛文(いずれも十七世紀中)。これらの開版によって広く普及した。

『教行信証』がどうして部外秘だったのか。真宗教団連合は『教行信証』が一応の完成を見た元仁元年(一二二四)四月十五日をもって真宗立教開宗記念日と定めている。真宗がこのとき誕生したというのである。ところがその拠り所となるテクストはごく近い者以外誰にも見せられない秘密の存在だった。

『歎異抄』も長らく外見をはばかられたそうだ。蓮如が『歎異抄』を「発見」しふたたび封印したことについて四方田氏はこう書いておられる。

《彼は聡明にも、この書物に深く足を踏み入れてしまうならば、教団の存続に関わる事態が起きかねないことを察知したのだった。それはわたしに、砂浜に転がっている壺のなかに閉じ込められた魔物が、ソロモンの封印を破って地上に顕現しようとするのを、慌てて押し留め、もう一度封印を施すという、著名な『千夜一夜物語』の小話を思い出させる。》(『歎異抄』のスタイル)

『教行信証』については、配流になった経験が親鸞を必要以上に慎重にさせていた、と単純に考えてもいいような気もするが、それもまた魔物の仕業であったのかもしれない。

by sumus2013 | 2018-09-09 21:17 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)
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