林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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親鸞への接近

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四方田犬彦『親鸞への接近』(工作舎、二〇一八年八月二〇日、エディトリアルデザイン=佐藤ちひろ)読了。五百頁を超える厚冊。一目ビビったが、読みはじめてみると、理路整然たる筆致によって知的興味を刺激されながらスイスイと読み終った。

これほどの圧巻について短評で云々するのは不可能。しかしそこを敢えて一言で、例えばオビの惹句をひねり出すごとく、軽々に表現すれば、「文学として親鸞のテクストを読む」、これに尽きる。宗教でもなく歴史でもなく文学である。

《『教行信証』を読み進んでいくときわたしの心を捕えて離さないのは、この書物の非近代的(前近代的ではない)あり方をめぐるこうした疑問である。だがさしあたって検討すべきなのは、それを執筆するに際して親鸞が用いた文体でなければならない。文体の偏差を見つめることによって、徐々にテクストのなかの階梯を登り、書物全体のあり方へと視点を移動してみようというのが、本章でのわたしの狙いである。》(『教行信証』論

『教行信証』の文体を、空海と道元、とくに後者の『正法眼蔵』と比較する。

《親鸞のテクストを真の意味で道元のそれから隔てているものとは、いったい何だろうか。それは水平性であり、事物の無限ともいうべき列挙、すなわちカタログである。道元が垂直的想像力に促されて思考を活性化させるとき、親鸞はもっぱら海路をゆく船のように、同じ次元に属する語彙概念をどこまでも羅列してみせる。》(同前)

昇天と失墜の代りに航海と羅列とが救済の手立てとなる……のだと。そして横移動の究極は悟りにつながる。

《横に跳び出ること、横に流れていくことは「迂回」、つまり時間をかけて遠回りすることの逆であり、一瞬にして悟りを開くことに他ならない。》(同前)

さらに『教行信証』の主題については、こう言い切っている。

《アジャセをいかにすれば赦すことができるのか。これが『教行信証』において親鸞が掲げている、第二の大きな主題である。いや、この表現ではまだ不充分かもしれない。そもそもこの書物はアジャセの問題を解決するために構想されたものであり、この困難な課題に向き合うため、書物の座標軸そのものに変更が余儀なくされたのであった。(同前)

アジャセは父ビンバシャラ王を幽閉して死に至らしめた。父殺し。これを赦せるか、否か……。その結論は

《この「難化の機」の物語を、さまざまな迂回のもとに肯定し、善知識と深い悔悟の念さえあれば、たとえ五逆の悪人であったとしても浄土に向かうことができると結論する。》(同前)

親鸞がどうして父殺しのアジャセにこだわったのか気になるところだが、著者は文脈の吟味に終始して心理的な深読みは差し控えている。それはそれで潔いとも思えるし、深入りすれば頁はいくらあっても足りないだろう。親鸞は九歳で天台宗の慈円のもとで出家し二十九歳まで比叡山で修行と学問に励んだ。九歳ですぞ。身近な例を挙げれば浄土真宗の僧侶である扉野氏の上の息子さんくらいの年齢だ。これはある意味、貴族の子弟には珍しくないとしても、親殺しならぬ子殺しではないか? もし仮に、若き親鸞が、自分を捨てたそんな親を否定し去ったとすれば、一種の親殺しである。アジャセにこだわる理由が透けて見えないだろうか結局二十九歳のときに、悟りを得られぬまま下山し、精神的な父とも言える法然(四十歳年長)に出会って専修念仏の道に入った。そしていずれその父をも捨てることになる。

『歎異抄』の分析にも教えられることは多い。

《『歎異抄』は親鸞を著者とはしていない。なるほど親鸞が口にしたとされる言葉が数多く収録されていることは、否定できない事実だ。だがそれを編纂し、一本に纏めた者が、別に存在している。この人物は自分の記憶を辿りながら、ある意図と目的のもとに親鸞の言行録を作成した。》(『歎異抄』のスタイル

『歎異抄』イコール親鸞の言葉と思われがちだが、著者は冷静にテクスト成立の動機を次のように説明する。

『歎異抄』が執筆されたのは、一二八八年に上洛した唯円が法門の教義をめぐって覚如と最後の協議をした直後ではないかと、わたしは考えている。親鸞から面授の教えを受けたものの、覚如の教団にはついに受け入れられることのなかった老人は、東国のいたるところで泡粒のように湧き上がってくる異端教義に強い危機感を覚えていた。また自分が教団の正系からそれとなく距離を置かれていたことに対しても、焦燥感を感じていた。聖人と直接に言葉を交わした門弟は、もはや自分を措いて存在していないという、誇りと孤独が彼の心中にあった。そう考えて間違いがない。彼は覚如との面談を終えると、若き日の記憶に導かれるまま一書を著わした。いや、より正確には、それまで折りに触れ書きつけてあった断片を整理統合して、一書に綴ることにした。翌一二八九年、唯円は吉野下市で七七歳の生涯を閉じた。(同前)

かなりフィクショナルではあるが、有り得べきストーリーであろう。親鸞は一二六二年に歿しているから、著者が想定する執筆編纂時期の一二八八年は、歿後二十六年ということになる。唯円が初めて親鸞に接したのはさらに遡るから、記憶に頼ったとすれば、それはもうほとんど唯円の著作と考えてもいいかもしれない。これは非常に重大な指摘だ。

『歎異抄』と言えば誰でも知っているフレーズ「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」である。悪人正機。これについて著者はこう述べる。

《親鸞がこの逆説を口にするに際しては、師法然の言葉を反転させることで、この一節を思いついたという事実が知られている。法然は黒田入道宛ての書簡のなかで、十悪五逆を犯した悪人でも往生が可能であり、そのためにはまず信じることが重要であると説いた。彼は続いて、どんな小さな罪であっても犯すべきではなく、犯した罪は反省しなければならないと述べた上で「罪人ナホムマル、イハムヤ善人オヤ」と書きつけていた(「黒田の上人へつかわす御消息」)。『歎異抄』の著名な一節は、この法然の言葉を意図的に反転させたものである。(同前)

ムマルは浄土に生まれるという意味。なるほど、そうだったのか。小生、以前から「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の「善人なを」の「なを」にひっかかっていたのだが、法然の罪人ナホ」の置き換えということなら素直に分る。著者はつづけて覚如による『口伝鈔』における「悪人正機」の条を示し「善人なを」に理屈がつけられている)、『歎異抄』と同じ主題を扱いながらいかにも饒舌な覚如の文章を分析しつつ『歎異抄』の特異さをきわだたせている。

以上、本書の前半、『教行信証』と『歎異抄』の文学的な読み解きの、ほんのさわりのさわりだけ、しかも小生が気になったところだけ断片的に取り上げた。これだけでも十分に堪能できるのだが、さらに面白いのは後半である。中上健次、三木清、三國連太郎、吉本隆明(および加藤周一)について、それぞれの親鸞とのかかわりを論じている。三木以外は著者が個人的に親しかった人物で、その意味でも読み捨てにできない記述が多く含まれている。吉本隆明のくだりで扱われる「老年の思想」は、今後最も真剣に考えられねばならない問題だ。『歎異抄』における「ご意見無用」的な発言をも含めて。具体的には本書を読まれんことを。


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装幀もさすが工作舎という作り。とくに表紙のルドン「LA BARQUE MYSTIQUE」は美しい。《難思の弘誓は難度海を度する大船》という『教行信証』の序文に出ている比喩が本書を貫く柱のひとつである。それを意識したイメージの飛躍がミスマッチのマッチを生んでいる。その絵をカバーにせず、表紙として厚口のトレーシングペーパー(?)で包んだ「はからい」もなかなかである。


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by sumus2013 | 2018-09-07 20:36 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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