林哲夫の文画な日々2
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虫めづる姫君

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『堤中納言物語』(大槻修校注、岩波文庫、二〇〇二年二月一五日)。このなかによく知られた「虫めづる姫君」が収められている。

本の虫の本』にムシブンコさんがこんなことを書いておられるので思い出した。

《「虫」はマムシを指す象文字で、「キ」と読んでいた。それを三つ合わせた「蟲」のほうは「チュウ」と読み、足のない虫をさす「豸〈チ〉」に対して足のあるものをさす文字だった。また虫を二つ並べた「虫虫」という字もあって、これは「コン」と読んでいたが、やがてその「昆虫の総称」という意味に「蟲」の字があてられるようになったため、忘れさられてしまった。また、「蟲」は画数が多く場所もとるため、省画されて「虫」の字が代用されるようになり、それにつれてこの字本来の意味や音も消えてしまった、ということらしい。
 明治四十一年の『漢和大辭林』には、「人類、禽獣魚以外の生き物の総称」というふうな記述もある。》

なるほど「虫めづる姫君」が好んだ「虫」の種類がさまざまだった理由が納得できる。ざっと挙げてみると

かは虫 毛虫
いぼじり かまきり
かたつぶり 蝸牛
けら おけら
ひき[ひくさのテキストも] ヒキガエル
いなか ?(いなご
いなご (バッタ?)
あま やすで

そして「くちなは(蛇)」も登場。やんちゃな「上達部のおほむ子」が姫にいたずらを仕掛ける。

《この姫君のことを聞きて、「さりとも、これにはおぢなむ」とて、帯のはじのいとをかしげなるに、くちなはのかたをいみじく似せて、うごくべきさまなどしつけて、いろこだちたる懸袋かけぶくろにいれて、結びつけたる文をみれば、
  はうはうも君があたりにしたがはむ長き心のかぎりなき身は
とあるを、なに心なく御前にもて参りて、
 「袋など、あくるだにあやしく重たきかな」
とてひきあげたれば、くちなは、首をもたげたり。人々、心をまどはしてののしるに、君はいとのどかにて、「南無阿弥陀仏なもあみだぶつ、南無阿弥陀仏」とて、「生前そうぜんの親ならむ。なさわぎそ」とうちわななかし、
 「かろし。かやうになまめかしきうちしも、けちゑんに思はむぞ。あやしき心なりや」
と、うちつぶやきて、ちかくひきよせ給ふも、さすがに恐ろしく覚え給ひければ、立ちどころ居どころ蝶のごとく、せみ声にのたまふ声の、いみじうをかしければ、人々逃げさりきて笑ひいれば、しかしかと聞こゆ。》

 □一字欠

生前の親ならむ》(前世の親にちがいない)という虫姫の発言はなかなか。皆が騒ぐので、どうしたどうしたと、父親の按察使大納言が刀をもって駆けつけ、よく見たら《いみじうよく似せてつくり給へり》、なんだ本物そっくりの作り物じゃないかということで、一件落着。

《「かしこがり、ほめ給ふと聞きてしたるなんめり、返り事をして、はやくやり給へよ」》、お前がやたらと虫をほめるからこんなことをされたんだろう、返事しとけよ、と言われて

 契りあらばよき極楽にゆきあはむまつはれにくし虫の姿は福地の園に

と片仮名(女性のつかう草仮名はまだ書けなかったらしい)で返事をしたためた。その返事を見た右馬寮の次官はこの娘はどんな姿をしているのか見に行こうぜと、仲間たちと女装をして出かけ(まったくヒマな連中だ)、草木の陰から虫めづる姫をうかがう。

《簾すだれをおしはりて、枝をみはり給ふをみれば、かしらへ衣着きぬきあげて、髪もさがりば清げにはあれど、けづりつくろはねばにや、しぶげにみゆるを、眉いと黒く、はなばなとあざやかに、すずしげにみえたり。口つきも愛嬌あいぎようづきて、清げなれど、歯黒めつけねば、いと世づかず。「化粧けそうしたらば、清げにはありぬべし。心うくもあるかな」と覚ゆ。》

意外なことに、髪は櫛が入ってなくて艶がないが、黒い眉が色白の顔に映えて可愛い子じゃないか、でもどうしてお歯黒をしてないのか、もっと美人になるのに、残念だな、というような感想をもった。冒頭部分に彼女の眉は毛虫のようだと書かれている。ふつうは眉を抜いて眉墨をつける習慣だったが彼女はナチュラルメイクが好みだった。

《眉さらにぬき給はず、歯黒め、さらにうるさし、きたなしとて、つけ給はず、いと白らかにゑみつつ、この虫どもを、朝夕あしたゆうべに愛し給ふ。》

……この時代(平安末から鎌倉初期の成立とされる)には少女でもお歯黒を付けるのが当然だったのか。江戸時代の遊女は緑のリップだったそうだし美的感覚なんてどうにでも変わるもののようである。そうそう二十世紀末にはガングロっていうファッションもあったっけ。

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[コトバンクの画像を借りました]



by sumus2013 | 2018-09-02 20:48 | 古書日録 | Comments(0)
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