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本の虫の本◉本を食べる 聖書には本を食べるという話が二度出ています。まずエゼキエル書第三章。 「我にいひ給ひけるは人の子よわが汝にあたふる此巻物をもて腹をやしなへ膓(はらわた)にみたせよと我すなはち之をくらふに其わが口に甘きこと蜜のごとくなりき」(1) 有名なのはヨハネ黙示録第一〇章でしょう。 「われ御使のもとに往きて小き巻物を我に与へんことを請ひたれば、彼いふ『これを取りて食ひ尽せ、さらば汝の腹苦くならん、然れど其の口には蜜のごとく甘からん』われ御使の手より小き巻物をとりて食ひ尽したれば、口には蜜のごとく甘かりしが、食ひし後わが腹は苦くなれり。」(1) アルブレヒト・デューラーにはこの場面を描いた版画があります。それを見るとヨハネは冊子本を飲み込もうとしています。え? 引用した日本語訳では「巻物」と訳されてますけど……。英語版を当たってみますとエゼキエル書の方は「roll」で黙示録の方は「the little book」です(2)。さらにヴルガータ聖書のラテン語はどうなっているのか調べてみますと、エゼキエル書は「volumen」で黙示録は「librum」です(3)。「volumen」は「巻物」で、そして「librum」はデューラーの描くような書物とみていいのでしょうか? ところが、ある方にギリシャ語訳で黙示録の該当箇所は「biblaridion」となっており「a little book」の他に「a little papyrus roll」という意味もあると教えていただきました。そもそも黙示録の成立した時代(紀元後一世紀?)には冊子本はまだ一般的ではなかったはずですから、デューラーの絵が間違っているという可能性が高いように思われます(4)。 エゼキエルやヨハネとちがって、世俗の王様から本を食へと言われた人もいました。[以下略] (1)『旧新約聖書』米国聖書協会、一九一四年。 (2)『THE HOLY BIBLE』AMERICAN BIBLE SOCIETY, 1877. (3)ヴルガータ聖書のサイト(http://www.drbo.org/lvb/)より。 (4)フランス語の聖書ではどちらも「livre」のようですが、「livre」も古くはパピルスでできた巻子の形をも意味したと言います(http://www.cnrtl.fr/definition/livre)。なお、現存最古の冊子本は四世紀に作られたとされるカイロのコプト博物館蔵の聖書『詩篇』。冊子本は一世紀後半から二世紀頃に現れたと考えられているようです。 ◉空飛ぶ本 芥川龍之介の短篇小説「魔術」をご存知でしょうか? 主人公「私」は、ある時雨の降る晩、印度人ミスラ君に魔術の実演を見せてもらいます。ミスラ君がちょいと指を動かすと、書棚に並んでいた書物が一冊ずつ動き出しました。「夏の夕方に飛び交う蝙蝠のように、ひらひらと宙へ舞上」っては「うす暗いランプの光の中に何冊も自由に飛び廻って、一々行儀よくテエブルの上へピラミッド形に積み上り」すぐに「もとの書棚へ順々に飛び還って行く」ではありませんか。仰天した「私」はミスラ君にぜひとも魔術を教えて欲しいと頼み込みます(1)。 コウモリのように、いや、まるで鳥のように自由に空を飛び交う本たち、それはウィリアム・ジョイスの短篇アニメ「モリス・レスモアとふしぎな空とぶ本」(2)にも描かれています。主人公のモリス・レスモアは読書中にいきなり襲ってきた突風に吹き飛ばされ、知らない土地に放り出されます。あてもなくさまよっていると、何冊もの空飛ぶ本に引っぱられて中空に浮かんでいる若い女性に出会います。すると、彼女の手に乗っていた一冊の本が、ピョンピョンとモリスのところへやって来て、彼をある石造りの建物へといざなうのです。そこは羽ばたく本たちの巣なのでした。モリスは本の守り人としてそこで一生を終ります。そして、彼もまた、空飛ぶ本とともに昇天していくのでした。 アニメの冒頭シーンでは、強烈な風がモリスの持ったノートの文字を空中に吹き散らしてしまいます。これはカルロス・フエンテスの短篇SF「火薬を作った男」を連想させてくれました。フエンテスはもっと深刻にページから文字が消え去ってしまう光景を描き出しています。 「本という本の活字がインクの蛆のようになって床に散らばっていたのだ。あわてて本を何冊かひらいてみたが、どのページもまっ白だった。悲しげな音楽がゆっくりと、別れを告げるようにわたしを包んだ。文字の声を聞き分けようとしたが、その声はすぐにとだえ、灰になってしまった。このことがどんな新しい事態を告げるのかを知りたくて外に出た。空には蝙蝠たちが狂ったように飛びかっていた。そのなかを文字の雲が流れていた。ときどきぶつかりあっては火花を散らし、……《愛》《薔薇》《言葉》と文字は空で一瞬輝くと、涙となって消えた。」(3) 妖しくも美しい情景です。作者が、紙の本の終りを、空を飛び交う言葉のスパークとして、表現しているとしたら、それは、ひっきりなしに電子データをやり取りする今日の世界を、クラウド(4)という概念にいたるまで、かなり正確に予言しているのではないでしょうか。[下略] (1)『芥川龍之介全集3』ちくま文庫、一九八六年。明治時代の東京では市内でもふつうに蝙蝠が見られたそうです。 (2)ウィリアム・ジョイス著、おびかゆうこ訳『モリス・レスモアとふしぎな空とぶ本』徳間書店、二〇一二年。William Joyce『The Fantastic Flying Books of Mr.Morris Lessmore』Atheneum Books for Young Readers, 2012。アニメは短篇アニメ部門でアカデミー賞を受賞しています。 (3)カルロス・フエンテス著、安藤哲行訳『アウラ』エディシオン・アルシーヴ、一九八二年。「火薬を作った男」の初出は短篇集『仮面の日々』(一九五四)。 (4)雲、クラウドコンピューティング(英: cloud computing)とは「コンピューティングリソースの共用プールに対して、便利かつオンデマンドにアクセスでき、最小の管理労力またはサービスプロバイダ間の相互動作によって迅速に提供され利用できるという、モデルのひとつ」(アメリカ国立標準技術研究所)だそうです。 本の虫の本 単行本 – 2018/8/27ほんのまえがき 本の虫って、どんな虫でしょう? 英語ではブックウォームというくらいですから、くねくねと本の上をはいずって回る青虫でしょうか。蛍雪時代なんて言葉もあります。本を照らす薄明かりを放つホタルでしょうか。何をバカなこと言ってるの、本の虫っていうのは紙魚[ルビ:シミ]のことでしょ、と今思った方、あなたはもう立派な本の虫になっていますよ、きっと。本棚の陰に身をひそめると、この上もない幸せを感じませんか? 触覚が生えて肌が銀色につやつやと光りはじめていませんか? 五匹の本の虫が寄り集まってこの本を書きました。オカザキフルホンコゾウムシ、オギハラフルホングラシムシ、タナカコケカメムシブンコ、ノムラユニークホンヤムシ、ハヤシウンチククサイムシ。それぞれ形態はもちろん、ジャーナリズム、古本屋、新刊書店、装幀など、活動する領域も異なっていますが、単に本が好きとか、本を愛する、というだけでなく、文字通り、本を食べて本とともに暮らしていると言ってもいいくらいのムシたちです。 本の世界にまつわるテーマを、これらホンノムシレンジャーたちが、自由に取り上げました。項目ごとにひとつの独立した読み物になっています。皆が思い思いに選びながらも、ほとんど重なる話題はありません。調整しようね、と打合せのときには相談していたのですが、調整の必要はありませんでした。ときに、似たテーマを扱っているとしても、ムシそれぞれの捉え方は同じではありません。そのくらいバラバラ、いや、ヴァラエティがありながら、本に対する姿勢には共通するものがしっかりと流れている、この一体感もまた本書の特長です。本の本のブックガイドとしても楽しんでいただけますし、また、元本の風姿を生かしながら自在に躍動するアカイホンカキムシのブック・イラストレーションを眺めるのも贅沢なひとときとなるでしょう。 草原に棲むナイキホンアミアツメムシの発案からこの本は始まりました。「本の用語集を作りたいんです」と蚊の鳴くような声で相談されたときには、正直、多少の不安を感じました。ところが、虫選が進み、徐々に姿がはっきりしてくるにしたがって、本の虫コロリのアイデアを蜘蛛の糸のように次々と繰り出してくれたのです。この本の仕上がりが読者の皆様に刺激と安らぎを与えられるとしたら、それはもう虫愛ずるナイキムシの読み通りだと言えましょう。 読み終わったら、いえ、読んでいる最中にも、書店へ出かけたくてたまらなくなります、ぜったい。そして、そこで発見するでしょう、本に対する、本とともに生きている虫たちに対する、見方がすっかり変わっていることを。本を取り巻く空間が、すみずみまで意味をもってイキイキと感じられるようになっているはずです。これであなたも立派な本の虫です。触覚が生えて肌が銀色に……はなりません、たぶん。 著者虫代表 ウンチククサイムシ オカザキフルホンコゾウムシ キンイツ科 Onajihon Nandodemokau Bakadeii 浪花ニ産ス。幼虫時ヨリ漫画ト文学ニ溺レテ生育ス。第三ノ新人、梶井基次郎、庄野潤三、開高健ラヲ好ム。詩ヲ愛シ荒川洋治ニヲ師トス。学生時代ヨリてぃっしゅぼっくす転用ノ文庫本箱ヲ愛用ス。映画、落語、音楽ニモ精通ス。多クノ著名人ニ取材シソノ養分ヲ吸ウ。本ガびっしり詰マッタ地下洞ニ棲ム。多数ノ著書ニ加エ、詩集『風来坊』アリ。 オギハラフルホングラシムシ キョムシソオ科 Kiokuyori Kirokuninokoru Dokushoseyo 伊勢ニ産ス。小学生デ第三ノ新人ヲ愛読シ、喫茶店デ漫画ヲ貪リ、ラジオ投稿虫トナル。高校生デあなきすとヲ志望ス。古本屋・中古れこーど屋ニ日参スルコトヲ夢ミテ神保町ニ隣接スル大学ニ入ル。高円寺ヲ根城ニらいたートシテ活動ス。辻潤、吉行淳之介、鮎川信夫、男おいどん、野球、将棋、トリワケ昼酒ヲ好ム。巣ニハ窓ヨリモ壁ト廊下ヲ欲スル。 タナカコケカメムシブンコ リカジョシ科 Gikkurigoshi Yatte Ichininmaeninari 備中ニ産ス。幼虫時ヨリ運動ヲ好マズ学級文庫ニ入リ浸リ、アマリニ同ジ本ヲ繰リ返シ読ムタメ親虫ヲ心配サセル。高校デハ生物部、社会問題研究部ニ属ス。倉敷ニテ古書店「蟲文庫」ヲ開キ固着生活ニ入ル。苔、亀、星、猫、南方熊楠、木山捷平、原民喜ラヲ好ミ、「古本屋の少女」ヲ経テ「ガチの本屋」ヘト変態ス。 ノムラユニークホンヤムシ ショテンイン科 Miwataseba Honyade Hitorikirigayoi 越前ニ産ス。文学全集・美術全集ニ囲マレテ育ツ。姉虫ノ影響少ナカラズ、学校図書館、近所ノ本屋ニテ座リ読ミス。『ぐりとぐら』ニ衝撃ヲ受ケ、少女漫画、山田風太郎、山田稔ラヲ愛ス。面接ニテ「三月書房が好き」ト書イテ恵文社一乗寺店ニ採用サレル。以来二十年、すぴんトすりっぷニハ過敏ナリ。 ハヤシウンチククサイムシ カミキリキザミ科 Honwamita Megadaijito Omoitai 讃岐ニ産ス。瀬戸内ノ海ニ面シタ農村デ種々ノ虫トトモニのほほんト成育。幼虫時ヨリ漫画ヲ好ミ、漫画家ヲ夢ミルモ挫折、画家トナル。三十ヲ過ギテ文学ノ世界ヲ知リ同虫雑誌ニ混ザリ、著述、編集、装幀ノ業ヲ覚エル。京ノ都ニ飛来シテヨリ古書ニ塗レテ本ノウルワシサニ目ヲ開カレ、モッパラじゃけ買イニイソシム。
by sumus2013
| 2019-08-16 21:57
| 文筆=林哲夫
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Comments(4)
みなさんの自己紹介がふるってますね。
面白いので私も真似させて下さい(もらいました)。
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sumus2013 at 2018-08-29 14:35
さすが漢文通、見事な自己紹介です、ひと味違いますね。この全員の紹介文は小生がまとめて戯作しました。
遅くなりましたがやうやく手にいたしました。愉しい古本ゴシップ・エピソードが満載、一つひとつが短くていいですね。
原稿用紙の起源など気のついたことと一緒にtwitterで報知させていただきました。
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sumus2013 at 2019-01-14 20:15
有難うございました。林くんがいたんですね! twitterはほとんど見ていないので失礼しました。いい雰囲気の写真に見惚れます💗
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