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パリの並木路をゆく![]() 高橋豊子『パリの並木路をゆく』(學風書院、昭和二八年二月二五日)を頂戴した。深謝です。著者は女優(明治三十六年生まれ、高橋とよ、高橋豊)、戦前は新築地劇団などで、戦後は松竹の名脇役として活躍、小津安二郎作品の常連だった。 東京物語(1953) 高橋豊子がパリに着いたのは一九五二年十月(と文中にある)、翌春頃まで、途中旅行をはさんで、滞在していたようだから、この本は滞在中に発行された、ということになる。当時パリに暮らしていた人物模様に興味は尽きない。佐野繁次郎、植村鷹千代、関口俊吾、中原淳一、岡本クロード・トヨ、藤田嗣治夫妻、黛敏郎、高峰秀子、高英男、アベ・チエ、マダム・アサダ等。カバー写真は高橋とフランソワーズ・ロゼエ(女優、「外人部隊」などに出演)。 なかでは佐野繁次郎が登場しているのが貴重。マダム・アサダの告別式で佐野に会う。 《「やあ、今日は・……築地小劇場時代に僕の舞台装置で高橋さん出たことあつたね。あゝあの時分の訳者はうまかつたよ。友田はいゝ訳者だつた。秋ちやん(田村秋子)はどうしてるかね。丸山は味のある訳者だつた。あゝ、築地で苦労した者はパリへ来ても大丈夫だよ。何しろ十銭の弁当で暮したんだからナ」と一息に話しかけられたのを見ると、佐野繁次郎氏でした。氏はギリシヤ劇よろしくの身振りで、マダム・アサダの霊に一礼すると、何ともつかないてれたような笑いを浮かべながらさつさと帰つて行きました。》 この後もう一度、ラファイエット(デパート)で出会ってコーヒーを一緒に飲んでいるが、高橋の筆つきが活き活きしており、佐野のせっかちな様子が目に見えるようである。マダム・アサダというのがまた不思議な女性。パリで多くの日本人を世話して「おすまさん」と親しまれたそうだ。 《マダム・アサダは屋根裏に住んでいて、階下の台所を借りて一食五十フランで、日本人に食事を提供したり、時には家政婦に行つたり、洗濯や継ぎ物などの世話をして暮していたので死後皆なで彼女の部屋を探しても何も出てこなかつたそうですが、唯、大阪船場のさる良家に嫁いで息子が一人あること、一九四九年にパリに来たがその目的は何であるか判らない、英語フランス語も達者で相当教養のある婦人だつたこと、旅行も外出も余りしないで殆んど家にばかり居て編物や縫物をして暮していたことなどを人々は語りあつていました。》 本文の紹介はこれだけにして、挟んであった八頁の栞『學風』第十号(一九五三年三月)から、社主である高嶋雄三郎の「小出版社のあけくれ」を少し引用しておく(旧漢字は改めた)。 高嶋は府立五中出身。一年先輩に村上浪六の息子村上信彦がおり、同じ雑誌部員だった。村上信彦には『出版屋庄平の悲劇』(西荻書店、一九五〇年)がある。創業以来三年《道なき道を血みどろになつて茨をかきわけて進んでいる》。日頃の指導を創元社・小林茂に仰いでいる。 《私が今非常に楽しみにしている会がある。それは元中央公論社の飯をくつたもので、今日一社を経営している者だけが毎月十七日に集つて一夕歓談することになつている通称十七日会のことである。集る面々は、会長格の牧野武夫氏(乾元社長)藤田親昌氏(文化評論社長)小森田一記氏(経済新潮社長)野口七之輔氏(再建社長)出口一雄氏(東京都出版物小売業組合理事・第一書店社長)と私。最近仕入捨三氏も加わられた。昨年七月野口さんの肝入りで第一回を乾元社で開いた時は、共に一社を経営する苦労を負うた者同志[ママ]、話は深刻にいつ果てるとも知らず、階上に御病臥中の牧野夫人をおいて遂に夜を徹して語り合い遂に朝帰りとなつてしまつた。》 《この間終始この会合に絶大な魅力となつているのは何といつても牧野さんの永い間に亘る出版界についての体験談である。乾元社は知る人ぞ知る理想出版を行つて居る得難い出版社である。富貴も淫する能わずといつた気魄は牧野さんの眉宇にあふれている。牧野さんの不撓不屈な面魂がわが出版界の堕落を辛じてさゝえているかのように実に頼しく、たまにお会いするだけに何だか死んだ親父に会うような懐しさすら感じられるのである。》 牧野武夫(明治二十九1896〜昭和四十1965)は以下のような出版人。 《出生地奈良県田原本町/学歴〔年〕奈良師範卒/経歴婦人新聞、改造社に勤めたが、嶋中雄作に請われて中央公論社に転社。出版部を創設し、E・M・レマルクの「西部戦線異状なし」を刊行、書籍出版の基礎を築いた。昭和14年退社、牧野書店を創立、戦時統合で乾元社と改称。戦後両社を再興し、「南方熊楠全集」などを刊行した。ラジオ技術社専務、電通顧問。著書に「雲か山か―雑誌出版うらばなし」などがある。》(コトバンク) 肝心の高嶋雄三郎についてはよく分らない。一九六〇年代までは活溌に出版を続けていたようだが……。
by sumus2013
| 2018-06-22 20:43
| 巴里アンフェール
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