林哲夫の文画な日々2
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月光忘語録

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福島泰樹『月光忘語録』(砂子屋書房、二〇〇四年一二月一四日、装訂=間村俊一)。この本は出版時に間村さんから一冊もらった。というのは、このカバーおよび扉に配されている豆皿は小生が間村さんにプレゼントしたものだから。タテヨコそれぞれ四センチくらいの、ほんとに小ぶりな皿なのだが、カバーいっぱいに大きく印刷されているのを見ると、また別物のようである。

上の一冊は最近古本で見つけた。カバーが汚れているのが残念だが、あまりに懐かしく、求めて帰った。本そのものも間村さんらしく清潔でシックな仕上がり(むろん内外文字印刷の活版刷り)


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福島泰樹の歌は私短歌とも言うべきで、少々劇画的。時節柄の一首を引用してみる。前書きに沓掛から六合村に、牧水を追うとあり六合村小雨》にはルビ「くにむらこさめ」。中原中也の友人故高森文夫の業績調査のため牧水の生誕地である宮崎県日向市東郷町を訪ねたときの作。

 われはただ蕩々として寂しきに六合村小雨をゆく雨合羽


「跋」が読ませる。点鬼簿の様相を呈している。当時の福島氏は現在の小生とほぼ同じ年齢である。

《大正生まれの男や女たちがばたばた死んでゆく。戦時中に青春の時を過ごした人々だ。》

なかでも伊藤拾郎についての記録は興味深い。

《三月、中原美枝子さんからの電話で老ハーモニカ奏者伊藤拾郎氏の死を知った。ほんの三週間前、喜久子夫人死去の報を得、山口市吉敷の自宅に駆け付けている。やつれ果てた氏と、炬燵でビールを酌み交わし、翌日火葬場で別れたのが最後となってしまった。
 伊藤拾郎、大正七年二月、山口県湯田に、中原家の六男として生まれる。長兄は、非命の天才詩人中原中也。幼年時代、兄たちが吹くハーモニカに魅せられ、ハーモニカに熱中。一九三六(昭和十一)年春、早稲田大学政経学部に入学。演奏で大隈講堂を沸かせ、プロの道を目指すが断念、やがて召集。九死に一生を得、鳥島から復員。遠縁にあたる伊藤家と養子縁組、喜久子さんとの戦後が始まる。

《勤務のため各地を転々としながらも、ハーモニカの練習には余念がなかった。初めてお会いしたのは、一九八六年十月、山口市で中原中也没後50年祭が開催された折りであった。山口県民ホールで「中原中也絶叫コンサート」を終えた私に、遺族を代表し故中原思郎夫人美枝子さんと氏から花束を頂戴している。以来十七年は瞬くうちに過ぎていった。渋谷ジャン・ジャンでの初リサイタルをプロデュースしたのは私であった。七十三歳のプロデビューであった。東芝EMIからリリースされた絶叫盤CD『福島泰樹短歌絶叫/中原中也』にも出演願っている。斎場には、嫌がる氏を説得し私が無理矢理に制作した『伊藤拾郎ハーモニカの世界/雪の宵』が流れていた。厳粛のビブラートであった。
 そして六月には、中原家を護り続けてきた中原美枝子さんが没している。湯田を訪れるたび、笑顔で迎えて下さった。》

中原中也記念館


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by sumus2013 | 2018-06-14 20:46 | 古書日録 | Comments(0)
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