林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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白梅の空

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季村敏夫『白梅の空 悼伊藤晃治』(如月舎、二〇一八年五月一二日、制作・装釘・印刷・水墨挿絵=御影黄昏書局 戸田勝久、十部刊行)。本文が四頁(すなわち一枚の紙の両面に印刷して二つ折)、および表紙、という薄冊である。メモによれば《湯川さんがのこされた越前和紙、正調明朝体金陵の字体でフランスの刺繍糸》を使用しているとのこと。薄くてもずっしりと重い(思い)。

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旧友、亡くなったひとに捧げたもの。
 冊子は薄く、足穂の薄板界を想起。
 そこに、拙い感慨をしたためました。
 白梅の挿画、
 いとおしく、優雅。

「薄板界」というのはタルホが「タルホと虚空」のなかで語っている世界である。

一体僕が考へてゐるのに、この世界には無数のうすい板がかさなつてゐるんだ。それは大へんにうすく、だからまつすぐに行く者には見えないが、横を向いたら見える。しかしその角度は最も微妙なところにあるからめつたにわからぬ。そして、この現実は吾々が知つてゐるとほり、何の奇もないものだが、薄板界は云はゞ夢の世界といふもので、そこへはいりこむと、どんなふしぎなことでも行はれる。》(「薄板界の哲学」より引用)

要するに「薄板界」とは、文学、というか「本」のことだろう。季村さんの連想になるほどと思わされた。

本文はこのように始まる。

《そのひとがなくなってから、つきあいが始まる。この世に居ない者と生きる者との対話、記憶を遡り、現在を省みる旅といってよい。
 五十一年前に京都で出会った伊藤晃治さんをおもい、記憶の旅ははじまったが、そこには悔恨があり、ノスタルジアは微塵もない。あるグループで偶然に出会ったものの、親密な関係には至らなかったからである。
 ところが十年前、死を告げられてから様相が変わった。日々の時間に、おもいがけず面影が想起、ときに、うずくように現われた。ああいえばよかった、こうすれば。若年の狼藉を詫びたい気持は隠せなかった。何も果たせないまま、また悔恨すら忘失する時間を過ごしたことも事実である。生きることはある意味で酷薄、ときに他者をおろそかにすることは避けられない。》

「わたし」は伊藤未亡人を訪ねる。歓談を終えて玄関を出たとき白梅が空に光っているのを見た。亡くなった人からの挨拶だとさとった。神戸に戻った夜、夢にも白梅が現われた。夢にうながされて一句。

  白梅や焼香すみし午後の庭

以下、若き日々に関する断片的な印象がつづられる、が、他者には立ち入れない描かれ方である。伊藤氏が愛読したマックス・ウェーバーの文章が引用されて季村さんの「薄板界」は終っている。引用部分の末尾。

《美しくもなく、神聖でもなく、また善でもない代りに真ではありうるといふこと、否、真実でありうるのはむしろそれが美しくも神聖でもまた善でもないからこそである。》

過去はうつくしくも神聖でも善でもないということなのだろうか。

試しに、この言葉を検索してみると、ある論文にウェーバーは近代を「神々の闘争」の時代という。キリスト教の価値観が、学問によって相対化されたことを言っている》(深層心理学に基づく臨床心理学からのウェーバー、ニーチェの心理と精神障害について)と書かれていたが、「真」というのは、どちらかというと、お金(資本主義)にぴったり当てはまるな……などと、いらぬことを考えた。

by sumus2013 | 2018-04-29 20:36 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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