林哲夫の文画な日々2
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出版つれづれ

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『新生』再刊第五輯(新生編輯所、一九四〇年九月一日)表紙。

高橋輝次さんより臼井喜之介に関する資料コピーを頂戴したので、忘れないうちに紹介しておく。ひとつは『詩想』昭和十七年四月号(ウスヰ書房)に掲載されている臼井喜之介のエッセイ「出版つれづれ[づれ;濁点付繰返記号]」。

《私の店の表には、大きく大理石でウスヰ書房と刻んである。

それを見て、前を通る小学生(国民学校生徒)や幼稚園児が

《みんな私の店の大きな文字をウ、ス、ヰ、ウ、ス、ヰとよみながら歩いてゆく。私は閑な時など、店先に佇つてぢつとこれらの幼いこゑを、小鳥の囀りのやうにききつつ、いつか心のうちで、私自身もウスヰウスヰとささやいてゐた。

ところが、三好達治に「出版の本の奥附にウスヰ書房と片假名でかくのはどうも幼稚な感じがするから、臼井書房と漢字にしてはどうか」と言われてしまう。近所に住む吉井勇にも話したら同感だと言う。いよいよ変えなくてはならなくなってしまった。後で文句を言われないようにここに経緯を記しておく、との弁明。

《詩誌を発行して八年、小賣を初めて四年、出版に手がけてから丸一年になる。》

出版の企画の打診や申し出が次々あるが、出版文化協会の統制によって、用紙の割り当てを受けることになっているので、何でも出せるというわけではない。雑誌もしかりである。

この後、スタッフについて書かれている。これは貴重。

《最近は瑞木菁子さんが手傳つてくれたり、小村哲雄君が学生服のまゝ店の間で「詩想」の封筒書きをしてくれる。會計の通知などは天野美津子さんや丹羽直照君がやつてくれる。丹羽君といへば、ずゐぶん長い間、「若草」などへも、星村蒼平の筆名で詩を発表してきたが、こんど本名にかへつてもらつた。瑞木さんは大野淑子といひその方がずつといいのだが、こんなに古くなると改めにくくて、そのままである。

投稿作品では、甘いペンネームはやめて、本名か本名に準ずるものにして欲しい、とつづく(と書いているが、臼井も初めは磯貝純というペンネームだった)。瑞木菁子は『新生』同人。小村哲雄は、検索すると『櫻美林大學中國文學論叢』(一九八九年三月)に「小村哲雄教授古稀祝賀記念号 ; 小村哲雄先生の思い出」がヒットする。おそらく御当人であろう。天野美津子は知られた詩人。星村蒼平は『きけわだつみのこえ』の松原成信が遺した『憧憬精神』に名が出ているそうだ

春めくと京を訪れる人が多くなる。城左門が入洛して詩集『終の栖』(ウスヰ書房)の発送を済ませ、安藤一郎が教え子の仲人のため京都に来た。次には平野威馬雄が来る予定だと文章は結ばれている。

もう一点のコピーは吉村英夫「臼井喜之介の想い出」(『』十五号、詩画工房、一九八八年二月)。吉村は、戦後すぐ、臼井書房に住み込みで働いていた。

《臼井書房は、京都大学北門前にあった。表の土間を編集室にして、毎晩おそくまで、校正や編集を手伝っていた。
 臼井の家族は、妻女の典子さん、長男浩義、長女雅子と彼の母親が同居していた。》

《臼井は、出版事業の忙しい時間を割いて、毎月例会を、臼井書房の隣の「進々堂」喫茶店でやったり、三条柳馬場角の「キリスト青年会館」で「詩文化サロン」や、詩の朗読会をつくったりした。
 また、織田作之助をよんで「文芸祭」をしたり、デパートで、詩人、俳人、歌人らの色紙展をひらいたことなどが、記憶にのこっている。》

《私が、臼井家にご厄介になったのは、昭和二十二年秋ごろから、翌年夏ごろまでだった。臼井の弟夫婦といっしょに、下鴨に移ったのは、それから間もない。その後、私は、永観堂境内に、貧しい新婚世帯をもった。臼井夫婦が仲人であった。
 臼井は、無類の酒好きであった。誰彼となくつきあいがよかった。東京から詩人やジヤーナリストの連中がくると、仕事を放りだして、京都案内をした。そして夜は先斗町や祇園町の居酒屋をまわり、ひょうひょうとした風采で、着流しの顔には、酒に乱れたところがなかった。》

世話好き、酒好きな臼井喜之介の人柄が目に浮かぶ。

by sumus2013 | 2018-02-15 17:46 | 関西の出版社 | Comments(4)
Commented by 神保町のオタ at 2018-02-17 10:39 x
志賀英夫『戦前の詩誌・半世紀の年譜』によると、皆さん、臼井が昭和17年9月に創刊した『岸壁』の同人でもありますね。
Commented by sumus2013 at 2018-02-17 13:30
そうですね。臼井ファミリーと言っていいんでしょうね。
Commented by 中嶋康博 at 2018-03-03 22:08 x
三好達治はこの年臼井書房から出した『覊旅十歳』の装釘に対しても、手紙で相当厳しいダメ出しを出してゐます。
たしかにこの詩人にして出版人に、今少しのセンスの持ち合はせがあったら、と思ふところはあるものの、
すでに出版事情が悪くなってゐた当時を思へば、あんまりな文言であり、
売りに出されたその書簡を見て、こんなものをきれいにとっておくところに、このひとの人の好さもまた見た思ひがしたことでした。
Commented by sumus2013 at 2018-03-04 07:34
三好達治はそういう人ですね。淀野隆三にもひどく恩知らずのことをしています。それでも許されるのが詩人の徳というものでしょうか。

確かに臼井さんに百田宗治くらいのセンスがあれば、と思わないこともありませんが、臼井書房は臼井書房ですから。
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