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林哲夫の文画な日々2
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地図の歴史

地図の歴史_f0307792_19534100.jpg

織田武雄『地図の歴史』(講談社、一九七三年二月二五日)。先日少しばかり引用したが、概説書としてはよく出来ている。これまでこの手の本をあまり読んだことがなかったので、いろいろと啓蒙された。

例えば、アリストテレスは地球が球だということを知っていた。

アリストテレスは、月蝕の際に月面に映る地球の影が円形をなすのは、地球が球体をなしているからであり、また、エジプトで見える星の一部が、ギリシアでは水平線に没して見えなくなるように、地球上を南北に移動しただけで、天球に見える星の位置が変化することから、地球はあまり大きな球体ではないと論じている。

ルネサンスの意味とはこれだったわけか。

例えば「太平洋」はマゼランが名付けたこと。マゼランの船隊は一五二〇年一〇月二一日にマゼラン海峡を発見し、ゆっくりそこを通り抜けて太平洋へ出た。

《マゼランは太平洋をもっと小さいものと考え、香料諸島にもたやすく到着し得ると予測して西進したが、結果は三ヶ月以上を要し、食料や飲料水の欠乏と壊血病に悩まされた苦難に満ちた大航海となり、ようやく二一年三月一六日にラドロネス島を経て、フィリピン群島のサマル島に到着することができた。ただこの間、一度も荒天に遭遇することがなかったので、マゼランはこの太洋を太平洋[マール=パチフイコ](Mar Pacifico)と呼んだ。》

例えば「アトラス」はメルカトルが名付けたこと。メルカトルは早くから世界各地の地図を総合した世界地図帖を編纂する計画を立てていたが、容易には実現されなかった。

《一五九四年にメルカトルは没したので、世界地図帖は彼の死の翌年の九五年に、息子のルモルドによってイギリスその他のヨーロッパ諸国と、アフリカ、アジア、アメリカの諸国を加えた一〇七図より成る地図帖が完成し、メルカトルの遺志にもとづいて「アトラス」(Atlas)の表題をもって出版された。このメルカトルのアトラス以来、近代的地図帖はアトラスと呼ばれるようになったのである。

西方の世界図に日本が記録された最初は、十二世紀のアル=イドリーシーの地図である。イドリーシーはシチリアのノルマン王ロジュエル二世に仕えて世界の平面球形図を作成し、その解説書『ロジュエル王の書』を著した。そこに付された地図に「ワクワク」という名前が見える。

《フルダードビフは「シン(シナ)から先のところは、どのような土地かわからないが、カンツー(揚州)の向う側には高い山脈があって、金を産するシラと、やはり金を産するワクワクがある」と述べている。シラ(Sila)が新羅、すなわち朝鮮半島にあたるとすれば、「ワクワク」(Waku waku)は倭国、すなわち日本を指すものと解され、イドリーシーの地図ではアフリカの最東端に置かれている

ジパングの初出は、ポルトガル王アルフォンソ五世の依頼により一四五九年に完成されたフラ=マウロの世界図。フラ=マウロはヴェネツィアに近いムラノ島の僧院長だった。

《注目されることは、中国のザイトン(泉州)に接して isola de Zimpagu とある小島がみられるが、これはおそらくジパングであり、ヨーロッパの地図にジパングとして日本が記載された最初の記録であろう。》

こんなマメ知識を引用していたらキリがない。おおよそ五十年前に執筆されたこの著書、「むすび」に著者は近未来の地図についてこういうふうに書いている。

《それでは今後、地図はどのような発達をみるであろうか。地図の作成技術がますます進歩している今日では、技術的な問題とも関連して、簡単に答えることはできないが、とくに第二次大戦後は航空機の利用が盛んとなり、航空写真測量の発達がいちじるしいため、世界図のこのような空白の部分はまったく消失するのは近い将来のことであろう。》

航空機ではなく人工衛星だが、まあ、ほぼ予見されていると言っていいだろう。ただ、グーグル以前と以後で、いかに世界観が変わったかも考えさせられる。上記引用文中「空白」とあるのは南極大陸と北極地方の一部をさすのだが、今日「空白」というのは、見えない場所ではなく、見せたくない場所なのだ。見え過ぎちゃって困るの〜(ちょと古いCMソング)という世界になってしまった。




by sumus2013 | 2018-01-26 21:01 | 古書日録 | Comments(0)
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