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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


日記

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串田孫一『日記』(実業之日本社、一九八二年七月三〇日)読了。

現在八十三冊目の帖面に日記を書いているが、ここに公表するのは第二十八冊と第二十九冊の前半に書かれたものである。それ以前の日記の大部分は自らの手で焼き、数冊は戦火を受けて焼失した。この「日記」の中で、二十七冊すべて、戦火によって焼失したようにも書かれているが、それは偽りである。従って残っている日記のうち最も古い部分である。》(後記)

串田孫一の小宇宙』によれば二〇〇五年、八十九歳で歿したとき、書いていた日記は124冊目であったという。二十八〜二十九冊目というのは、昭和十八年十月から二十一年九月までの丸三年にあたる。二十八になる少し前から三十一になる少し前まで。兵隊に取られることも考えつつ、空襲が激しくなるにつれて本の疎開に心を痛める、そして疎開先の山形での敗戦から東京三鷹に家が見つかるまでの成り行きが、知友からの来簡なども交えながら、公開されている。

戦中と戦後の古本屋についてもあちらこちらで触れられていて、参考になるが、ここでは焼けた本について少しまとまった引用をしておく。昭和二十年四月の空襲で巣鴨にあった自宅が全焼してしまった。

《自分一人の生活範囲に柵を巡らして、心から焼けないでくれればと思ったのは、書物だけである。それは二度と入手が困難だとか、ただ勿体ないという気持からではなく、私が生活して行くためになくてはならないものになっていたからである。》

《家族と共に運ばれる僅かの荷物の中へ、三箇ばかりを函詰めにして入れることにした。その中へは自分の所有している本の中から極くほんの一部の約二百冊ばかりの、何處でどんな惨めな生活をするようになっても手放したくない古典と、長い間かかって折にふれては探し求めていた不思議な物語の類と、二十七冊までの日記と、書きためた原稿の類と、古典と共に置かねばならないわが師からの書簡と、若干の紙と、長年愛用して来た文房具の類とを入れたのである。》

《この函のものさえあれば、極く最小限に見積って数年間はやや生活らしいことが出来そうに思えたのである。それは木函に入れて釘を打っている時には、何となく棺の蓋をしているように思えて随分悲愴であり、何の為にこれら大切な書物が、函に詰められ、釘を打たれ、縄もかけられるのかと思った。それは生き埋めにしてしまうようなものだった。それが単なる私の夢想ではなく、庭の隅で灰と化しているのを見なければならないようなことになった。灰を丹念に片寄せて行くと、私の鉛筆によって書込んで置いた文字が灰の上に光って見えたりしたし、紙切りが見る影もない姿となって出て来たりした。私はその灰となった二百冊の本の書名を言ってみることも出来た。その他の書物も、家の到るところに取り散らかしてあったので、書物の真白い灰は焼跡の方々に重なり合って残っていた。そして一度雨に叩かれたその尊い灰は、もう殆んど舞い去ることもなく、じっとりと或る種の重みを持っていた。》


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渡邊一夫の葉書


この日記にもっとも頻繁に登場する人物は、家族を除けば(家族よりも多いかもしれないが)渡邊一夫である。渡邊の書簡や自筆葉書も紹介されており、戦中の渡邊について興味を持つ者にとっても有益な記述ばかりのように思う。他には、叔父の今村信吉、親友の戸板康二、そしてペリカン書房の品川力も頻繁に登場する。品川の配達する(郵送です)人ぶりがこの日記からでもよくうかがえる。焼いてしまったから、というばかりではないのだろうが、戦後の串田の本の買いっぷりはかなりのものだ。

著作も次々出版するようになる。品川の紹介で美篶書房の小尾俊人がパスカルの本を出して欲しいと言って寄越す。昭和二十年十一月十六日付小尾書簡。引用文中の旧漢字は改めた。

私は一昨年暮学徒出陣にて軍隊に入り、終戦後復員になつたのですが、在隊中のいろ〜〜の感想はつまるところわが国の文化をさらに高め、又理性的なものの考へ方を広く民衆の中に徹底しなければならないという結論を生みました、真理を愛し、美しいものに感じ、深いものに憧れる、さういふ心情はこの上もなく尊いことだと思ひます。

西欧日本の古典的な書物の刊行を主眼とし、又真理への愛をかきたてるやうな書物の発行を志し、新たに出版書店をつくりました。編輯は私の心の誠実と責任において、私が担任し、用紙等も準備しあり以後以前との関係において充分に補給することができるはづです。書店名は美篶[みすず]書房、事務所は今牛込においてあります。

品川は次のように小尾を紹介している。

私の知人で、もと羽田書店(出版)につとめてゐた若い小尾[オビ]俊人君がこんど独立して出版を初めるとのことで、クラシックなものばかり手がけたいとの話で、先づ最初あなたから「パスカル研究」を執筆して頂たいとのことです。

ところが、これは美篶書房からは出版されなかった。昭和二十一年五月五日付小尾書簡。

さて、「永遠の沈黙」の書物、これを私の友人の河平一郎氏の経営する新府書房(新たに創業、専ら良心的に仕事を志してゐる人です、近刊トルストイ「復活」など)で、是非こちらへ願へないかと申しておりますのですが、実はこの話は幾度もあり、自分がお願ひしたものだからと理由も述べたのですが、是非といふことのので、先生の方へお話し申上げますものです。事実そのまゝを申上げますと、美篶書房といたしましてはロマンロラン全集全七十巻を六月頃よりづつと継続刊行してゆかねばなりませんので、用紙と印刷方面に於て勢ひ他の企画が相当に違算を来してゐるやうな事態でございまして、もし当方でいたしますにせよ、刊行期日は一寸予定がつかぬ状況なのです

う〜ん、これはちょっと勝手な言い分かなとも思うが、ま、仕方ないか。ということで『永遠の沈黙 パスカル小論』は新府書房から同年六月に刊行されている。


by sumus2013 | 2017-12-28 20:57 | 古書日録 | Comments(0)
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