林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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いっぱいです

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『いっぱいです』(「ぶゐ」二十周年記念誌刊行会、一九八四年一一月六日、限定千部)を頂戴した。これまでも飲み屋の本、を送ってくださった某氏、に深謝。

火の子の宇宙

ささありき

「ぶゐ」は渋谷ののんべい横丁にあった名物店。二〇〇九年七月に店主の平野薫子さんが亡くなられ、閉店してしまったようだが、この本は、それよりも二十五年前、開店二十周年を記念して刊行されたもの。

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巻頭に掲載されている「薫子一代記」が波瀾万丈、むちゃくちゃ面白い。父は広島出身の弁護士だったが、大陸へ渡って軍の御用商人のようなことをやって儲けていた。何不自由なく(しかし産みの母とは生き別れで)育った薫子は朝鮮の大邱高等女学校から青島日本人高等女学校へ通って、その後、医者になるべく上京し予備校生活を送る。しかし敗色が濃厚になり、敗戦時には大邱に居たが、なんとか命からがら漁船に乗って帰国した。戦後の東京でさまざまな職業を転々としながらレストラン、喫茶店勤めから配膳会(パーティなどへの人材派遣会社)で実績を積み、五反田でスタンドバー、そして渋谷で「ぶゐ」を始めるまでを滔々と語っている。まるで映画を見るようなシーンの続出で、ある意味非常に貴重な証言になっているように思った。

喫茶店の時代メモをいくつか引用しておく。

《お小遣いには不自由しないんですけど、東京はもう食料事情が悪くなってて、「白十字」や「むらさき」「ラジオと新聞の店」なんかで、大豆のコーヒーと乾燥バナナを食べてましたね。》(昭和十八年)

《ジャズが急に流行しはじめて、何かこう自分に集中するものが何もない時代でね、しかしジャズ喫茶が出来て、有楽町のパール街ってありましたでしょう。U字型の路地になっていて、あそこへ黒人の生バンドをよく聴きに行きましたよ。
 パール街は知っていますよ。「ママ」っていうモダンジャズ喫茶があったんだ。
 その頃は、モダンはまだ入ってなくて、デキシーでしたけど。「あっ、これだ」っていう感じがジャズにはありましたね。一週間に一度か二度だけどね。黒人にアメリカっていうのを感じましたね。昭和二十五年……。》

《その頃、ダンスが流行ってましたね。小谷楽器でダンスホールをやってて、帰りにダンス習って、お好み焼きを食べてとか、風月堂でコーヒー飲んだり、少し生活にゆとりが出てきてましたね。
 それは何年ですか?
 二十八年ですね。》

《気落ちして、花馬車の前につっ立っていたら、そこにね、「リズ」っていうパフェがあるのね、リズ。
 リズ、知ってますよ。美人のウェイトレスがいたんだ。
 そのリズでお茶を飲んでたのが、河瀬さんていう方でね、花馬車のお客さんで、私のことなんかもよく知ってるんですよ。それで、私に声をかけて下さってね。縁なんですかねぇ、その方が「トワエモア」っていう有名な喫茶店のマスターで、私はこれがきっかけでトワエモアで働くことになるんです。》

《花馬車の並びの西五番街の五丁目のお店でね、トワエモア……。
 このマスターっていう方が変わった方でして、もう、とてもいい人なんです。大学を出てから、すぐフランスへコーヒーの研究に行ってたっていう方でね。銀座では有名な方でした。トワエモアっていうお店も、もう銀座のことを語るのには欠かせないような有名な店でね。》

《トワエモアのお客さんていうのは、まず文春ね。裏にあったから。それから電通の人達。それから、銀座警察っていって、有名だったんだけどU一家ね、そのU一家の根城だったんです。マスターが、人がいいもんだから、結局、つけ込まれたんでしょうね。あとは銀座の商店のオヤジさんたちね。常連の多い店でしたよ。》

昭和三十一年秋頃の話である。U一家は浦上信之の一派のようだ。

《当時、数寄屋橋のあたりは、にぎやかなもんでした。今みたいにキレイじゃなくてね。橋の上でドーナツ売ってたりとか。少し前にね、そこでドーナツ売ってた人画、後に成功して、今の有名な喫茶店を開いた。初代の人がね。これ、「アマンド」です。それで駅前にはヨーヨーとか、大福もちを売ってたオジサンもいてね。これが後のKコーヒー。トワエモアにいつも来てましたからね、よく知ってます。》

しかしマスターは当時流行したパチンコ三昧になり、U一家が店内で日本刀を振りかざすなどするため、一般客が寄り付かなくなり、地下で経営していたクラブが度重なる手入れで営業できなくなるということもあって、昭和三十二年の年末にあえなく閉店したという。……高度成長時代の喫茶店のひとつの盛衰として非常に貴重な証言のように思われる。

トアエモアを辞めてから「ぶゐ」開店までにもいく波乱があるわけだが、あまりに長くなるのでそちらは省略。「いっぱいです]というタイトルはママが気に入れない客を断る(というか一見の客は入れない)ときのセリフだそうだ。席が空いていても「予約です」と断るのだという。「せっかくこの店に来てくれる人が、一見の客のために坐れないようではわるくてね。それも地方から出張できているような人が入れないようでは……」という心遣いがあったのだとのこと。

その常連たちの「ぶゐ」を語るエッセイも、ママの話とはまたひと味違って面白いが、これも長くなるので省略。ひとつだけ、ブローティガンのメッセージが掲載されているので、これはぜひ引用しておかなくては、と思うしだい。

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リチャード・ブローティガン「ダイヤモンドの中で食べる」。日本の姉たか子に連れて行ってもらった渋谷のレストランは、食べ物が素晴らしく美味しかったが、店はとっても狭くて、まるでダイヤモンドの中で食べているようだった。同席した七人の客たちがほとんど同じ皿から同じ口で食べているようだった、というような内容である。

ブローティガンには一九七六年の滞在がモチーフとなった『東京日記』という生前最後の詩集があるが(現在は平凡社ライブラリーで読めるようです)、「ぶゐ」訪問は一九七七年六月ということなので、『東京モンタナ急行』(晶文社、一九八二年;The Tokyo-Montana Express, 1980)の時期ということになろう。


渋谷のんべい横丁「ぶゐ」を突然訪ねる

渋谷の飲み屋「ぶゐ」


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by sumus2013 | 2017-12-25 17:51 | 喫茶店の時代 | Comments(2)
Commented by 岩田和彦 at 2017-12-26 10:08 x
これは面白そうですね。読んでみたいですが入手難しそうですね…⁈
渋谷呑んべい横丁の横の宮下公園は壊されて、ナイキ主導の複合施設ビルが建つ様です。山手線から毎日見るだけになってしまいましたが、丁度70年代後半は、渋谷界隈をウロウロしてたので、呑んべい横丁も徘徊していました。もっと昔「とん平」(古本によれば)言う店があったそうで、かの古川ロッバ等出入りしていて、店の裏側を、流れていた渋谷川に向かって、酔客が放尿していたとか…、思い出しついでに記してみました。では又。
Commented by sumus_co at 2017-12-26 16:48
いま、日本の古本屋に二冊でていますよ!
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