林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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荒野の竪琴

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串田孫一『荒野の竪琴』(新潮社、一九七二年九月二五日、装幀 装画=著者)。某氏(昨日の某氏とは別の方)より頂戴したもの。『季刊暮しの創造』第十三号(創芸社、一九八〇年六月一日、特集=理想の装幀)に掲載された「自装について」のなかで串田孫一は次のように書いている。

荒野の竪琴 一九七二年 表紙は布に印刷と金版。この本にはいたずらが一つしてある。これまでにそれを発見した人は一人

某氏はこれを「暮しの創造」のコピーに『荒野の竪琴』造本の仕掛について書いてありますが、見つけた人は一人、は串田さんの読者サービスでしょうと考えておられるが、たしかに、発行から八年近く経っていて一人というのは、どんなものだろう。もちろん、どこが「いたずら」なのかひと目見て直ぐには分からない。しかし、そのつもりでチェックすれば、容易に気付く。

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ご覧のように、天と地とで、ハナギレの色を変えてあるのだ。おそらくこれが「いたずら」なのであろう。色違いのハナギレですぐ思い浮かぶ本があるが、本書よりもずっと新しい。本書以前にもあるのか、ないのか、ちょっと気になるところ。

本書のエッセイにも装幀について触れた文章がある。

駅で用事を一つした。それは友人の本の装釘のことで、色の指定なども細かに書き添えては置いたが、出版社のそれを担当している人に直接会って、了解を求め、念を押すところまではこちらの責任であるから、郵送せず手渡したかった。》(「晩夏」)

これだけなのだが「装釘」という字を使っているところに注意したい。扉の前には「装幀」と表記されているので、特別に「釘」にこだわったという訳でもないかもしれないが。

全体に季節や気分の移り変わりについて感慨を述べたようなエッセイばかり。半年余りの間に書き上げたということだ。なかで小生の好みは「墨狂」と題された一篇。友人から呼び出され、懐素の千字文を渡される話。

懐素の千字文であった。しかし千金帖と言われているそれとは違って、若い頃書いた連綿草で、これは珍しいものだから見せてくれるというのだった。彼はこの拓本を何年か前にある篆刻家から貰い、無造作に新聞紙にくるんだまま戸棚の奥にしまい込んであったが、千字文を書いた書家のことを調べている時に、思い出してこの拓本を出してみると、なかなかいいので、少しお金をかけて巻物にしたという話であった。

その友人の父は書家で、友人も習字を教えているらしい(詳しくは串田も知らない)。彼からは以前、水巌(端渓の老坑から掘り出される石)の硯、そして「古銅印彙」などの印譜を借りたことがあった。懐素の連綿草とは下のようなものだろうと思う。

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懐素小草千字文


串田はここで話をオーレル・ニコレというフルート奏者のレコードのために文章を草したことへ転ずる。ニコレの演奏をレコードで聴いているとき、ふと古筆の仮名の続け文字が思い浮かんで、早速そのことを書いた。その後は、音楽、とくに無伴奏の独奏曲を聴いていると快く崩された草書を思い浮かべるようになった。達者に崩された文字はスラスラとは読めない。そこで気が付く。

直ちに読めてしまう書からは音楽が浮かんで来ない。読めたからと言って、それで終わるわけではなく、そこに書かれている言葉なり詩の意味をよく理解したところから書の鑑賞ははじまる。そして悦びの交感に似た気分が起る。だが読む前に、あるいは残念ながら最初から読むのは自分には無理だと諦めざるを得ないような書にも魅力はある。それは曲線の組み合わせとしての魅力であって、私にはそういうところから音楽が現われたのであろう。

草書には苦しめられている(笑)。読めなくても鑑賞には全く問題はない。が、読めたら読めたで、別のパースペクティヴが開けることも事実である。




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by sumus2013 | 2017-12-06 20:42 | 古書日録 | Comments(0)
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