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APIED VOL.30『文芸誌〈アピエ〉』30号(アピエ、二〇一七年一一月一五日、表紙装画=山下陽子)が出来た。特集が「101 夏目漱石/『夢十夜』『三四郎』他」。 APIED 以下は金城静穂さんの「編集後記」より。 《「APIED」は今号で30号になります。2002年の春に、カフカの「変身」をテーマに創刊号を発行しました。16年間に30冊の仕上げなので結構ゆったりした本作りですが、長くは続けてきました。毎回の気まぐれな特集にもかかわらず、寄稿していただいた書き手の方々、取り扱い書店さん、読者の皆さんのおかげです。ありがとうございました。もちろん、写真や絵の掲載を快諾してもらえた方々、印刷所の協力なしでは薄い本も作れません。改めて感謝とお礼を。》 《今後もテーマにしたい作家や小説は色々ありますし、30号を一区切りにして気分リフレッシュ、怠けゴコロを叱咤激励しながら本作りをしていきたいと、心身ともにヨロヨロしつつ弾んでいます。もっと大胆な編集と文章を!と自分を鼓舞していますが難しくて。それでも本誌の発行なしでは私の真ん中が錆びついてしまいます。はい、ひとえに自分のための「APIED」です。こんな狭量な志で面目ないですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。》 《去年は夏目漱石の没後100年でした。朝日新聞と岩波書店が力を入れたイベントや記事、文学館や美術館の展示の影響下で、たくさんの漱石関連本が出版されました。今年は没後101年、それで本誌のタイトルは「101 夏目漱石」にした次第です。なんだか安っぽい暗号みたいな101ですが2017年に書いてもらったことを強調して、ほんの少し新しい響きも期待しての101です。》 ということで、およそ二十人の漱石が勢揃いしている。さすが漱石、誰にとっても、どこかにひっかかりがある作家なのだな、と改めて感服した(善行堂の連載だけが、なぜか植草甚一である)。街の草の加納さんなんか、漱石と縁側について書いている。なるほど、そういう見方もできるか。個人的には出版人に興味があるため、藤井祐介「草野柴二とその時代」が面白かった。簡単に内容をメモしておく。 明治三十五年、漱石が若杉(能勢)三郎に「モリエル全集の翻訳と云ふ奴を御出しなさい」と手紙で勧めた。若杉は明治八年、岡山県生れ。仙台二高から東京帝国大学に入り漱石と出会った。モリエルの翻訳を続けながら、草野柴二という筆名で小説を書いた時期もあったが、大正九年、名古屋の第八高等学校に就任し英語・英文学を講じた。 若杉は明治四十一年に金尾文淵堂から上中下三巻本の『モリエール全集』を刊行した。なぜか中巻だけが風俗壊乱を理由として発禁処分になった。訳者にとっても寝耳に水だったが、「姦婦の夫」という作品のせいだろうという。そしてそんな喜劇の弾圧には続編もあったのだ・・・そちらは本誌にてお読みください。 また、実証的な考察が好きなもので、中村真知子「漱石とジャムと夏蜜柑」も面白く読んだ。漱石はロンドン仕込みで朝食は紅茶にトーストだった。バターとジャムは欠かせない。一ヶ月で八缶のジャムを買って家計を圧迫したという。明治三十年代、苺ジャムの缶詰は三十銭だったそうだから、けっこうな値段である(たぶん今の1500円くらいか)。しかも糖度は100パーセントだったらしい。胃弱の漱石には毒だったんじゃないかなあ・・・とのこと。 今回も拙作コラージュ作品二点を提供させていただいた。漱石の肖像写真を使っているというだけのことで、あまり作品のイメージとは直接つながらない。 寄稿もさせていただいた。「漱石の絵ごゝろ」と題して漱石の美術品とのかかわりについて少しだけ書いてみた。ちょうど中村不折の団扇絵(下図)を古本屋で見付けて喜んでいたところだったので、それにかこつけて。 「101 夏目漱石」なかなかの充実ぶりである。
by sumus2013
| 2017-11-25 20:28
| 文筆=林哲夫
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