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林哲夫の文画な日々2
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三上於菟吉を知っていますか?

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『北方人』第28号(北方文学研究会、二〇一七年一一月一五日)とともに『夏季展示(第57回)初代直木賞選考委員三上於菟吉を知っていますか?』(春日部市郷土資料館、二〇一七年七月二二日)図録を頂戴した。深謝申上げます。

三上於菟吉は、明治二四年(一八九一)、庄和地区の木崎[きさき]に生れ、旧制粕壁中学校(現県立春日部高等学校)に進学し、作家となる夢を育みました。上京後、女流劇作家として知られていた長谷川時雨と結婚し、苦節時代を経て、昭和初期には売れっ子作家となり大成功します。しかし、まさに絶頂期であった昭和一一年(一九三六)に交通事故に逢い、その後は病気がちとなり創作は衰えます。郷土の知己を頼り昭和一八年(一九四三)、幸松[こうまつ]地区の八丁目に疎開し、翌年、当地で五十三年の生涯を閉じました。伴侶の長谷川時雨は、於菟吉の死に先立ち昭和一六年(一九四一)に六一歳で亡くなっていました。郷土の風景や故郷の人々との親交は、晩年の於菟吉にとって心の支えとなっていたことでしょう。》(植竹英生「あいさつ」より)

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三上於菟吉


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長谷川時雨


二人の写真はいずれも東京の市谷左内町(現新宿区)にあった自宅で撮影されたものと思われる。上掲の表紙に二人が将棋をさす写真が出ているのに注意をひかれた。昭和七年のことだそうである。十二ほど年上だった時雨は於菟吉の売り出しに奔走し、於菟吉を売れっ子作家へと育てたという。

昭和三年(一九二八)、女性作家を集めた雑誌『女人芸術』を創刊すると、三上於菟吉は資金援助してその恩に報いています。時雨は、「滾々[こんこん]たる泉の水は、汲めばくむほど、掘りさげれば堀さぐるほどよき質を見せ掬すべき味を示すと。」(昭和五年「大衆文学月報」)と、あふれ出る於菟吉の文才を認めています。》(本文解説より)

初め、於菟吉は海外小説の翻訳などを手がけながら糊口をしのいでいた。ゾラ『獣人』(改造社、一九二九年)やデュウマ『モントリスト伯爵』(新潮社、一九二〇年)などの翻訳があるが、後者は於菟吉の代表作「雪之丞変化」(昭和九年十一月より朝日新聞連載)の粉本となった。その「雪之丞変化」が発表されるや、すぐに林長次郎(長谷川一夫)主演で映画化されて大人気となり、於菟吉の文壇での地位も確立。昭和十年に於菟吉は「サイレン社」という出版社を設立する。昭和十三年まで活動はつづけられたようで、自著である『雪之丞変化』『随筆わが漂泊』、時雨の『近代美人伝』『草魚[そうぎょ]』などの他、国会図書館で検索してみると、けっこう面白そうな本を出していることがわかる。

本は買ったことがあったかもしれないけれど、何か三上於菟吉の作品を読んだなあ、という印象は不思議とないのだ。これから少し注意してみようかなと思ったしだい。

by sumus2013 | 2017-11-24 19:58 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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