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ネーデルラント旅日記デューラー『ネーデルラント旅日記』(前川誠郎訳、岩波文庫、二〇〇七年一〇月一六日)には「ルッター哀悼文」が収められており、この旅行記中で異彩を放っている。一五二一年五月十七日のくだり。 《一五二一年の精霊降臨節の前の金曜日、アントウェルペンの私の許に、マルティン・ルッターが陰謀によって逮捕されたとの報せが入った。》 《彼こそはキリストと真のキリスト信仰との後継者であった。そして彼がなお生きているか、それとも彼らが彼を殺[あや]めてしまったか、を私は知らない。》 《さればマルティン・ルッター博士の書物を読むものは誰しも、彼の教えが如何に明快に聖なる福音を伝えているかを理解することならん。そればそれら(彼の著作)は大いなる敬意をもって保存さるべく、焚[や]かれることあるべからず。いつもいつも真理を歪曲する彼の敵対者たちを、人間たちを神々にしようとする彼らの見解ともども火中へ投じ、それに代わりて再び新たにルッターの書物の刊行せられんことを。おお、神よ、ルッターもし逝きしならば、誰か聖なる福音をかくまで明快に我々に宣べ伝えることをなさんや!》 むろんルターはいきなり捕まったわけではなかった。『95ヶ条の論題』を貼り出した(一五一七年、今年はちょうど五百年にあたる)ことを手始めに過激な著作を次々発表した。 《ルターが1520年にあいついで発表した文書は宗教改革の歴史の中で非常に重要な文書であり、ルターの方向性を確定することになった。それは『ドイツ貴族に与える書』、『教会のバビロニア捕囚』、『キリスト者の自由』であった。『ドイツ貴族に与える書』では教会の聖職位階制度を否定し、『教会のバビロニア捕囚』では聖書に根拠のない秘跡や慣習を否定、『キリスト者の自由』では人間が制度や行いによってでなく信仰によってのみ義とされるという彼の持論が聖書を引用しながら主張されている。》(日本語ウィキより) このことによってレオ十世によって破門された。当局としても放置しておけず、ヴォルムス帝国議会への召喚が行われる。デューラーが心配しているようにルターが殺害されることはなかったものの、五月二十一日のヴォルムスの勅令により神聖ローマ帝国内ではルターの著作を所持することが禁止された。ところが、 《書記官コルネリウス[デ・グラフェウス]が私にルッターの『バビロン捕囚』をくれたので、それに対し私は彼に私の大判版画集三冊を贈った。》 とこれはデューラーが六回目のアントウェルペンに滞在しているとき、同年六月八日のくだりに記されている。アントウェルペンも神聖ローマ帝国内だったはずなのできっと禁制品ということになるのだろう。あるいは、まだこの時点では禁令が届いていなかったのかもしれないが……もしくは禁令など気にしなかったか。 旅の途中で彼はけっこう本を買っているのが意外だった。ルターの著作も『コンデムナツィオ』『対話集』『バビロン捕囚』の三冊を手に入れている。 それにしても、上に掲げた「芝草」の描写などには、まさに先日引用したヒエロニムス・ボックが《家の近くで見られるすべての植物を自在に描写したうえ、土地の植物を土地の言葉で記述するという、かつてない新しい課題ととりくんだ》という態度に匹敵するものではなかろうか。
by sumus2013
| 2017-11-19 20:44
| 雲遅空想美術館
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