カテゴリ
全体古書日録 もよおしいろいろ おすすめ本棚 画家=林哲夫 装幀=林哲夫 文筆=林哲夫 喫茶店の時代 うどん県あれこれ 雲遅空想美術館 コレクション おととこゑ 京洛さんぽ 巴里アンフェール 関西の出版社 彷書月刊総目次 未分類 以前の記事
2022年 09月2022年 08月 2022年 07月 more... お気に入りブログ
NabeQuest(na...daily-sumus Madame100gの不... 最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
朱欒『朱欒』(朱欒プロジェクト実行委員会編、愛媛新聞社、二〇一七年九月一一日、書容設計=羽多良平吉@EDiX)。本書については下記に詳しいので参照のこと。久万美術館による翻刻の力作である。 『座朱欒』(ザシュラン)プロジェクトのお知らせ 《朱欒》翻刻本と自主企画展記録集の通信販売について 『朱欒(しゅらん)』とは旧制松山中学の卒業生たちが東京で作った回覧雑誌。大正十四年十月頃から十五年五月にかけてほぼ毎月一冊のペースで刊行された。全九冊。原稿用紙を綴じて厚表紙を付けたスタイルである。同人は池内義豊(伊丹万作、二十五歳)、中村清一郎(中村草田男、二十四歳、本書に収められている『朱欒』は草田男旧蔵、この度久万美術館に寄贈された)、重松鶴之助(二十二歳、画家)、渡部昌(二十二歳、後、明治大学教授)、中村明(洋画家)、山内千太郎(二十三歳、後、法政大学教授)、八束清(二十四歳、松山商業学校出身)、長嶋操(不詳)。以上は中島小巻「『朱欒』同人略歴」による。 洲之内徹は東京美術学校の入試のために上京し、松山中学の先輩だった山本勝巳の下宿へ滞在した。そのときそこにあった重松の絵「閑々亭肖像」を見、本人とも何度か会ったという。 《私は、伝説の主の鶴さんその人にもそこで会うことになった。朝、目を覚ますと、昨夜はいなかったはずの、いがぐり坊主の、異様に背の低い、だが、いかにも精悍そのものといった感じの男が同じ部屋に寝ていることがあり、山本さんがその男をツルさん、ツルさんと呼ぶので、それが重松鶴之助だと私に察しがついたのである。あとで知ったが、鶴さんの兄さんと山本(勝巳)さんの兄さんとが中学で同級なのであった。》(ある青春伝説) 重松とはこの後にも因縁があるのだが、それは洲之内の文章で読んでいただくとして、四十五年後になって「閑々亭肖像」に再会した洲之内の感慨を引用しておく。 《しかし、四十五年前、初めてこの絵を見たとき、白状すると、私はこの絵が欲しくてたまらず、こっそり持ち出して、どこかへ隠しておきたいような衝動に駆られたのだったが、そのときの気持はいまもそのまま思い出すことができる。いまはもう、まさか持ち逃げしようとまでは思わないが、それにしても、私をそんな気持にさせたこの絵の魅力はいったい何であったろうか。この一枚の作品に罩められた若い重松鶴之助の、芸術に対する無垢な信仰と、ひたすらな没入、それらがそのまま私のものとして、私の理想として、私を捉えたのだ。》(同上)
by sumus2013
| 2017-09-25 21:28
| おすすめ本棚
|
Comments(0)
|