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林哲夫の文画な日々2
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追悼・志賀英夫

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ひと月以上前に『菱』197号(詩誌「菱」の会、二〇一七年四月一日)を頂戴し紹介しようと思いながら今日になってしまった。手皮小四郎氏が寄稿しておられる「追悼・志賀英夫(大阪『柵』)」に驚いた。手皮氏は昨年の十二月三十日に『柵』の志賀英夫氏の訃を告げるメールを受け取られたとのこと。同日午前一時頃死去。告別式は一月四日。

手皮氏は荘原照子を探求する過程で志賀氏に多くの詩人を紹介してもらったという。

志賀英夫周縁の詩人たちとの邂逅がもたらしたものは大きかったが、それと共に特筆すべきは志賀さん自身の手になる編著書だった。氏のライブワークの結晶ともいえる刊行書に『戦前の詩誌・半世紀の年譜』『戦後詩誌の系譜』などがある。
 明治の世からこの方、わが国にどれほどの詩誌が生まれ消えていったか、それはどんな顔をした表紙であり、いつ創刊されたのか。発行所は何処で、編集者は誰だったか。同人、執筆者名は…。そして現在その詩誌は何処にあるのか、誰が持っているのか!
 およそ思うだけでも鬱陶しく、煩わしさの極みであるこの作業を、終生の仕事として自分に課したのが志賀英夫だった。

まあ、世の中にはそのような作業を鬱陶しく、煩わしいと感じない、いや快楽とする人も多勢いるように思うが、志賀氏もその一人だったようだ。

志賀英夫は大正十四年(一九二五)京都府の生れで、兵役も経験している。『柵』の創刊は終戦直後の昭和二一年二月と古く、誌名は当初『草原』だったが、七号から『柵』と改題した。もっとも詩誌発行のスタートは戦中に遡り、昭和十八年十八歳の歳に『若草』などの投稿仲間を誘い『草径[くさこみち]を出している。つまり氏が発行する誌名は『草径』『草原』『柵』と変遷したのである。
 井上靖なども参加した第一次『柵』は昭和二十四年一月に十四号をもって休刊、以後三十七年という長い空白を経て、月刊詩誌・第二次『柵』として復刊(昭和六十一年十二月)した。

第二次『柵』は二十七年間欠号なしに月刊を守り、平成二十五年(二〇一三)二月、三一五号をもって終刊した。

終刊後すぐ「柵通信」を二号発行し、同年十月には季刊詩誌・第三次『柵』をスタートさせた。そして三年目の夏の十二号が長い来歴を持つ『柵』の終刊号となった。『柵』の編集後記は「身辺雑記」といったが、最終号のその最後の一行は、「柵を刊行するのが、私の生き甲斐です」だった。

小生はこれまで『柵』にはほとんど触れていないが、桑島玄二の寄稿がある号に関して取り上げたことがある。検索してみるとかつての『乾河』も志賀氏の制作だった。改めて詩誌の世界に大きな足跡を残した方だと思う。


『柵』復刊第四号

『乾河』62 ED・制作=志賀英夫・詩画工房


by sumus2013 | 2017-05-17 20:27 | おすすめ本棚 | Comments(2)
Commented by akaru at 2017-05-21 08:47 x
そうですか、志賀さんがお亡くなりに…。
「喫茶・輪」にもご来店頂いたことがありました。
Commented by sumus2013 at 2017-05-21 10:13
ご冥福をお祈りいたしたいと思います。今後、氏の業績の再評価が進むことを期待したいです。
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