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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


長寅

長寅_f0307792_16240152.jpg

「長寅」と署名されたマクリを入手。虫食い穴(上部で鳥のように見える)もあり、きわめて安価だった。長寅というからには与謝蕪村の系統かなと思って検索してみると、どうやら名古屋のブルジョア画家・立松義寅ではないかと推察できた。

立松義寅
文化7年熱田大瀬子町生まれ。富豪・鈴木七左衛門長の八男。名は義寅、字は長寅、通称は太左衛門。号は嘉陵。幼い頃は野村玉渓について四条派を学び、のちに京都に出て松村景文に師事した。また、清水雷首の教えも受けている。中国南海の山水、名勝をさぐって研鑚につとめ、名古屋に戻り宇治川先登の図を熱田神宮に納めて画名をあげた。笠寺の富豪・立松太左衛門義民の養嗣となり、家業のかたわら画を描き、のちに名古屋市島田町に隠棲した。明治16年12月16日、74歳で死去した。名古屋四条派、松村景文の系譜

下のような義寅の絵もあるので先ず間違いないだろう。

立松義寅 擬月渓翁採芝図

言うまでもなく月渓は蕪村の弟子である。

「俳画の美 蕪村・月渓」

長寅_f0307792_16235659.jpg

印文……上は「長寅」だろうが、下は「疑…?」。

by sumus2013 | 2017-03-03 16:44 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)
Commented by arz2bee at 2017-03-04 10:41 x
この竿と腰つきでは釣果は大したことはないな
Commented by sumus2013 at 2017-03-04 11:03
いかにも(笑)
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