林哲夫の文画な日々2
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書痴銘々伝

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高橋邦太郎『古通豆本59 書痴銘々伝』(日本古書通信社、一九八三年五月二〇日)。まずは著者が自身について語った「乱雑も秩序」から一部引用してみる。

《ぼくは本が好きで、少し集めているが、美本、希少本などを買い漁る者ではない。そんな金もなければヒマもないからである。
 関東大震災で、若干の本を焼いてしまったから、しばらく買うことをやめていたが、フランス関係のものは入手しなければならないので、なけなしの金で少しずつ集めたが、本箱を買うのを倹約して、茶箱でガマンしたり、じかに積み上げたりしていたら、ついに狭くて古い家は本の重みで傾きだした。しかし、家を直す費用も惜しいから曲がったままにしてうっちゃって置いている。》

《書斎はもちろん、玄関、その脇の二畳、うら手の半坪の書庫に入り切らない本が畳の上に小汚く積んであり、他人に手をつけられるとわからなくなるから、じぶんで整理することにはしているが、一度、整理するつもりでかかってもすぐ、また、手近かなやつを読み出すと、もうそれで万事終ってしまう。
 つまり、前と同じ乱雑さに戻ってしまうのである。といったところで自分の本だからどこに何があるかは見当はついている。無秩序ながらじぶん自身の秩序がある。
 他人に見せて自慢するほどのもののありようはないが、幕末から明治初年にかけての日本で刊行されたフランス語学習書は大半集めえた。》

《このほか、フランスに関するもの、とくにパリ関係のものは二回の滞仏及びインドシナ・サイゴン放送局長在勤との間を含めて若干集められた。とりわけ、地図は十八世紀半ばのゴンクールの美術品売立カタログが手に入った。しかも、パリでは相当さがしたがとうとう買えなかったものが、いながらに求められたのだから、朝日(四月二十四日号朝刊)に八木福次郎さんが書いているように古本では東京は、ロンドン、パリ、ハーグなどとくらべても優るとも劣ることはないのはたしかである。(昭和三七・五)》

標題作の「書痴銘々伝」では渡辺一夫、植草甚一、相磯凌霜について語られている。それぞれの描写からさわりだけを引き写しておこう。まずは渡辺一夫(渡邊一夫)。学生時代から知っていた。

《卒業後、余り会ったことはなかったが、巴里遊学も、時を同じくしたので数回かの地でも、ヒョッコリ出会ったことがある。その時いつでも話は、巴里で掘り出した珍本についてであった。勿論、語り手は一夫君であって、こちらはいつも聞き手であった。専門とするラブレー関係は申すに及ばず、民俗学その他百般にわたったもので、古本屋についてもドロスその他数十軒の所在、その特色などで、まことに書を好むこと色に於けるとひとしく、ただただ私はその熱心さに言葉もなく恐れ入っているばかりだった。》

植草甚一についてはこうである。文中、鳥打帽とあるのが注目すべきところか。

《最近では、平河町の新宅(といっても、本ばかり買っている彼にお金のある筈はないので、姉さんの建てた家)に収って、好きなウイスキーでもチビチビなめながら読書三昧に耽っているのが彼の天国なのであろう。町の中で出会う彼のいでたちは、余り立派でない背広に、小さな鳥打帽をかぶり、身体の二倍もあろうと思われるほど大きなカバンを下げている。このカバンの中が、また大変で、近頃、手に入れた本や、雑誌がギッシリ詰めこまれ、これを一冊一冊出してみせるのである。
「いかにして、この本のあることを知ったか」
「いかに、この本を手に入れるのに苦心したか」
「どこが面白いか」
「著者の経歴は、こうである」
 等々等々、実に事こまかに語り出す彼の顔はいかに喜びに輝いていることであるか。》

《彼に聞けば、東京、横浜の洋書を取扱う古本屋は、どんなへんぴなところでも立ち所に教えてくれるし、どの棚にどんな本があるかを告げてくれる便利千万な生字引なのである。
 その上、江戸ッ子で、他人の困っているのは見過ごせないたちだから「こんな本がなくて参った」と聞くと、その場では黙ってきいているが、いつか手に入れて姿を現し「これがありました」とさりげなく渡して去るのが道楽である。》

そして晩年の永井荷風と親しく交わりその日記にも随所に登場している相磯凌霜について。幕末の書画尺牘を多く蒐集していた。

《抱一の句集『屠龍の技』を先生が借覧したのもまた相磯さんである。
 わたくしは、旧新嘗祭の夜、池上の邸に参上してこの一巻を見せて貰ったが、いささかいたんだ冊子は、某製本師によって巧みに修覆され、ありし日の俤をしのばせるのに十分であったが、鵬斎の序文は荷風先生が特に写したもので、題また先生の筆になる。世の好事家をして垂涎さしむべき逸品である。
 更に相磯さんはこんなものだけではない。実に各種各様で、文芸倶楽部を創刊号から終刊号まで、ほとんどすべてを持っておられる。
 そうかと思うと、荷風先生の「為永春水」の稿本も秘蔵するところとなっている。
 わたくしは、ただ、本が好きであるだけ、もしくは、沢山本を買いためて置くだけでは書痴とはいえないーーと書いた。
 この点、無用の書をあつめ、これを愛すること人に超えてこそ、この資格があると考える。こう考えて来ると、凌霜さんは、どうしても銘々伝に欠くことの出来ない人になって来る。》

高橋邦太郎はこの本の出た翌年、一九八四年二月二十五日に歿している。

by sumus2013 | 2017-01-25 20:48 | 古書日録 | Comments(0)
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