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林哲夫の文画な日々2
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河童

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矢部登さんの『田端人』第二輯には細川書店の『河童』も出て来る。

《芥川龍之介が「河童」を発表したのは昭和二年三月の「改造」。
 吉田泰司がその批評を「生活者」にのせたのは翌月。倉田百三の編輯、岩波書店の発行であり、吉田は創作月評を受けもっていた。
 それを読んだ芥川は四月三日朝附で吉田泰司あて書翰をしたためる。》

この書簡は全集にも収められ芥川研究の重要な史料となっているそうだ。

吉田泰司はそのとしの七月、旅の空で芥川龍之介の訃報を知る。返事もかかず、会いもしなかった吉田は、死なれてしまったという、とりかえしのつかぬ淋しい思いをいだく。芥川書翰の一行にはこうある。
「あらゆる『河童』の批評の中に、あなたの批評だけ僕を動かしました。」》

《「河童」を読んだのはいつであったろう。「河童往来」の余韻のなか、読みなおそうか。よむんだったら、せんに読んだ細川書店の本がよい。》

ということで細川書店版『河童』。左が昭和二十三年一月二十日再版。右が昭和二十一年八月二十日初版(函がある)。敗戦直後の発行(細川書店の処女出版)なのに初版の方が紙質がいいのは用紙に備蓄があったのであろう。

小説の主人公「僕」は山中で河童に出会い、その後を追ううちに河童の国へ入り込んでしまう。そして人間世界にかなり似ているその異界にだんだんと馴染んでいく。親しい河童も何人(何匹)かできてくる。そのなかに硝子会社の社長ゲエルがいた。そのゲエルの紹介状を持ってゲエルの友人たちが関係をもっている工場を見学して歩く。

《そのいろいろの工場の中でも殊に僕に面白かつたのは書籍製造会社の工場です。僕は年の若い河童の技師とこの工場の中へはひり、水力電気を動力にした、大きい機会を眺めた時、今更のやうに河童の国の機械工業の進歩に驚嘆しました。何でもそこでは一年間に七百万部の本を製造するさうです。が、僕を驚かしたのは本の数ではありません。それだけの本を製造するのに少しも手数のかからないことです。何しろこの国では本を造るのに唯機械の漏斗形[じやうごがた]の口へ紙とインクと灰色そした粉末とを入れるだけなのですから。それ等の原料は機械の中へはひると、殆んど五分とたたないうちに菊版、四六版、菊半裁版などの無数の本になつて出て来るのです。僕は瀑[たき]のやうに流れ落ちるいろいろの本を眺めながら、反り身になつた河童の技師にその灰色の粉末は何と云ふものかと尋ねて見ました。すると技師は黒光りに光つた機械の前に佇んだまま、つまらなさうにかう返事をしました。
「これですか? これは驢馬の脳髄ですよ。ええ、一度乾燥させてから、ざつと粉末にしただけのものです。時価は一噸[トン]二三銭ですがね。」》

マンガみたいな世界だ。SFと言ってもいい。やがて「僕」は人間世界へ戻りたいと思うようになる。教えられて相談に行った年取った河童は、会ってみると年寄どころか、幼い姿をしていた。

《「お前さんはまだ知らないのかい? わたしはどう云ふ運命か、母親の腹を出た時には白髪頭をしてゐたのだよ。それからだんだん年が若くなり、今ではこんな子供になつたのだよ。けれども年を勘定すれば、生まれる前を六十としても、彼是百十五六にはなるかも知れない。」》

逆まわりの時間……P.K.ディックの世界を先取りしている。




by sumus2013 | 2016-11-27 21:00 | 古書日録 | Comments(0)
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