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続処女句集『本の手帖』第七巻第七号(昭森社、一九六七年九月一日)と第八号(一九六七年一〇月一日)。特集は「処女句集」と「続処女句集」。 《今まで六年間を過ごしても触れ得なかった俳句について試みた特集ですが、時間をかせいだだけの効果はごらんの通りです。しかもたいへんな皆さんの協力で厖大な量と成り、二分冊にせざるを得なくなりました。》(第七号「dessert」) 本の手帖 まず続の方から石塚友二「石田波郷処女句集に就て」を読む。波郷の処女句集を『鶴の眼』だと思っている人が多いと始まる。しかし、それは処女句集ではなかった。 《処女句集は、大正十一年[昭和十年の誤植]十一月五日発行の奥附を附した『石田波郷句集』である。発行所は東京市渋谷区神宮通二ノ一五の沙羅書店。『鶴の眼』の発行所も同じ沙羅書店で、これは私の経営する小出版社であつた。》 石塚友二 《『石田波郷句集』は、四六判、九十頁といふ小体な句集である。頁数の少なさを補ふ為に確か百斤だつたと思ふが、厚い上質紙を使用し、厚いボール紙を以て表紙とし、箱入といふ体裁であつた。っこの箱も、著者の意見から、普通の差込式の他に、箱蓋式のを半分ほどの割合で使用したこと等も異色といへば異色であつたらう。 一頁平均三句組、これも著者の希望で、天地は揃へぬといふ組方、使用活字は明朝四号であつた。これは、印刷所にポイント活字の備へがなかつたからである。何でも、タイプライター式の機械植字で、組上りが、普通の文撰植字の工程に比し余程速いといふのが触込みであつたやうに思ふ。その工程の単純さに比例して頁当りの料金も低廉である、といふ言ひ方でもあつたやうだ。組代は五十銭以下だつたらう。 定価は一部一円三十銭、部数は三百であつた。当時としては比較的に高い定価である。しかし、部数が三百であり、仮に全部が売れたとしても、莫大な儲けとなるといふやうなものではなかつた。何しろ、無限の前途を約束された大才といつても、漸く数へて二十三歳といふ著者であり、また、心ある人の目に認められつつあるといつても、読者の対象は「馬酔木」の範囲に止つてゐる。》 タイプライター式の機械植字というものが昭和十年当時すでに登場していたのだ。 《『石田波郷句集』は、その全部が発行所で無くなるまで、凡そ二年間を要した。四年後に、同じ著者に依る句集『鶴の眼』(定価一円六十銭、部数五百。)が、半年も待たず売切れるといふやうなことはまだ考へられなかつたのである。》 その四年間に雑誌『俳句研究』(改造社)の二代目編集長・石橋貞吉がホトトギス王国に対抗する新しい俳壇を出現させたそうだが、その石橋が石田波郷にスポットライトを当てたということらしい。 この記事の次に香西照雄「中村草田男『長子』」が続いている。『長子』も沙羅書店から出たものだった。 《昭和十一年十一月に俳人石塚友二氏の経営する沙羅書店から頒価一円八十銭で出版された。四六版[ママ]、箱入。三〇二頁。一頁二句組。初版千三十部の中、三十部は背皮装舶載紙の特製本である。》 富本憲吉の装幀だった。部数がその貫禄の違いを表わしていると言えるのだろう。草田男はちょうど波郷のひと回り年長。同じ松山中学(現・松山東高校)の先輩後輩になる。そうそう波郷は洲之内徹と同窓のはずである。
by sumus2013
| 2016-10-26 21:02
| 古書日録
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