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漁書小歴大田垣蓮月の短冊ということで求めた。傷みが激しいので安かったのだが、じつは野村美術館で開催された「大田垣蓮月尼展」を見て以来どうもあやしいと思っている。蓮月尼の短冊は非常に多く出回っているところからして、もちろん多作だったことにもよるかもしれないにせよ、おそらく専門の贋作者が何人かいたに相違ない(なにしろ蓮月生前からその陶器や書画には人気があったそうだから)。だいたいこの歌もよく知られたものだし、そういうものは危ないと決まっている。 古郷柳 一むらのけふかとミしハふるさとの 七十九才 昔のかとのやなぎなりけり 蓮月 こんな団扇もあったらしい(ネット上で発見。版画だそうだ)。 たまたま杉本秀太郎の「漁書小歴」(『日本古書通信』746号)を読んだのでこの短冊を引っ張り出した。杉本は小林秀雄『ランボオ詩集』(創元選書、一九四八年)に刺戟され象徴派の詩集を集めはじめたのだという。 《古本屋を歩きまわっては小林秀雄、河上徹太郎の旧著を盛んに集め、詩集をあさった。》 卒論はヴァレリー論。京大を出てから伊東静雄の詩に出会いサンボリズムからしだいに解放されるようになった。 《その頃、外出すればかならず覗いた古本屋の一軒は、京都寺町通り四条下ル大雲院の門の庇を借りている店だった。一軒とかぞえるのも憚られるその店は西村書店といった。文学書だけが並べてあった。洋書もあった。 ある日、伊東静雄の詩集『わがひとに與ふる哀歌』を棚に見つけた。生憎く、財布はからっぽ。大いそぎで帰宅し、小遣銭の前借をして取って返したが、ものの三十分ばかりのうちに売れていた。》 大雲院は以前にも触れたが富岡鉄斎の墓があったお寺(富岡鉄斎碑林)。今はたぶん高島屋の駐車場出入口(寺町側)になっているところではないかと思う。西村書店……そんな古本屋があったのだ。杉本邸は綾小路通り西洞院東入ル(四条烏丸の西、杉本家住宅)だからあわてて引き返してもたしかに半時間はかかるだろう。そんなつかの間に抜き取られるとは不運であった。 《戦後数年のうちに京都でも頻りに動いたフランス書の古書には、ヴァレリーの限定版が時折まじっていたものだが、西村書店、奥村書店などで身銭を切って買ったその種のヴァレリーも、潔ぎよく売り払った。》 奥村書店は修学院にあったようだ。杉本は三十六歳でフランスへ渡った(一九六七年)。そこで内なる日本を激しくゆさぶり覚まされた。帰国後、すすめられることがあって大田垣蓮月について本を書く約束をした。 《私はまた頻りに古本屋歩きをはじめて、蓮月尼に関する書物および尼に関連するはずだと見当をつけた書物を手当たり次第に買い集めた。興が深まるにつれて勘が冴えるのを自覚した。あそこの本屋のあの棚の見当に、しかじかの本があるにちがいない、思わぬ発見もあるにちがいないーーそう予想して行ってみると、予想どおりということがしばしば起こるのだった。あんなに楽しく愉快な月日はなかった。》 蓮月尼の生前に出た歌集『海人の苅藻』が欲しいと思い竹苞楼を訪ねると 《『海人の苅藻』ですか、へエ、ございます。もう故人となられた先代佐々木春隆さんは、即座に座ぶとんから尻を浮かして奥に引っ込み、しばらくして歌集を私に差し出された。蓮月さん自筆の履歴書がございまっせ。ハハア、例の鉄斎さんに示されたという履歴書ですね。拝見します。見おわってたずねた値段は些か私の分際には過ぎていた。》 この履歴書はすでに知られているもので図版にもなっていた。また手許にはすでに蓮月の短冊、軸、画帖、手ひねりの花生が集っていた。《書画骨董の収集に使えるお金の余分はない身だから、履歴書は断念した。いまはどこに所蔵されているだろうか。》 佐々木竹苞楼では他にも多くの買物をしている。また《府立植物園近傍の古書店(名を失念)》で飯沼慾斎『増訂草木図説』(牧野富太郎校訂、久世通章旧蔵)を、シルヴァン書房で伊東静雄が愛蔵したのと同じ『ジョヴァンニ・セガンティーニ』画集(フォトグラフィッシェユニオン、一九一三年)を求めたそうである。『わがひとに與ふる哀歌』の詩篇はセガンティーニ画集と照応しているのだそうだ。
by sumus2013
| 2016-10-14 20:08
| 雲遅空想美術館
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