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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


漆繪の扇

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パウリスタで追加しておきたいのが『辻馬車』18号(波屋書房、一九二六年八月一日)に掲載されている浅見淵の小説である。浅見淵(1899-1973)は神戸市出身。早稲田大学文学部卒。小説家、文芸評論家。

「漆絵の扇」は神戸情緒をかきたてる小品だ。トアロード(トーア路)の異国趣味をふりかざしているところはやや土産物屋じみたところもあるが、今となってはそのために却って貴重な記録にもなっている。主人公は小説を書こうとしている大学生。大学に入った当座は夏休みに神戸へ帰省するのが楽しみだったが、だんだん億劫になってきたというところから始まる。

《じつさい、私は神戸へ帰つて二三日もすると、すつかり退屈してしまふのだつた。顔馴染のカフエや小料理屋は無いし、中学時代の友達もたいてい疎遠になつて、ひとりか二人しかゆききしてなかつた。それで、一週間に一度金曜か土曜かの晩にヒリツピン人のバンド付きで映す、オリエンタル・ホテルの活動写真を見に行くとか、海岸通のエム・シー薬舗で二円五十銭で買つて来たアツシユのステツキを振回しながら、汗みどろになつて裏山を歩き回るなどといつた気紛れを除くと、大方昼寝をして暮した。そして、昼寝に倦きると毎日のやうに、トーア路をとほつて三ノ宮のステイシヨンへ出掛け、そこで二三種類の東京の新聞を買求めて、トーア路が鉄道の踏切を越えたところにあるカフエ・パウリスタに引返し、一二杯の珈琲と一二本の安葉巻をたのしみながら、隅から隅までその二三種類の東京の新聞にゆつくり目を曝した。

当時の三宮駅は今よりも西の方に位置していた。このパウリスタは移転前の踏切脇の店である。新築移転したのは大正九年だから、浅見の年齢からしても大正七年か八年頃だろう。

YMCAでロシヤ郷土芸術音楽会があると知ってひまつぶしに出かける。そこでパフォーマンスした亡命ロシヤ人の家族、とくに末娘アレキサンドラの美しさにひきつけられる。

《その冬のことだつた。或晩、私と同じ中学を出て美術学校の洋画科へ入つてる友達が明石に帰省して、久振りで私を訪ねて来た。そして、九時近くにパウリスタへ珈琲を飲みに行かうといふので自家[うち]を出た。
 私の自家からパウリスタへ行くのには、中山手の暗い大通を抜けてトーア路をとほらなければならなかつた。で、その晩も二人でぶらぶらその路をやつて来たが、トーア路の中ごろまでやつてくると、突然聞き慣れない異様な合唱[コーラス]が街筋のどつかから聴こえて来た……。
 一体、このトーア路といふのは、山ノ手の外人街の入口にある、赤い屋根をもつたクリーム色のお伽噺のお城のやうなトーア・ホテルの横から始まり、鉄道の踏切や電車道を越えて波止場に面した竝木の多い、旧居留地へ通じてゐる坂路だつた。そして、山ノ手の外人街から神戸の銀座といふべき元町通へ出るには、どうしてもその路を通らなければならなかつた。で、しぜん、その路をゆききするものには外国人が多く、街の様子も外の街とは毛色が変つてゐた。例へば、アカシヤの竝木を前にした理髪店の二階に玖馬領事館があつたり、ゴシツク風のオール・セインツ・チヤアチの傍らに紅殻[ベンガラ]塗の牧師館があつて、その庭に熱ぽつたい夾竹桃の花が咲いてゐたり、さうかとおもふと高い煉瓦塀を周りに廻らした、二階の窓に朱塗の鳥籠が覗いてる支那人の金持の家があつたりした。又、埃塗れの安ホテルやソーセーヂ専問[ママ]のドイツ人の店や支那人のペンキ屋などがごちやごちや竝んでゐたりした。そして、夜になると、露地の奥の売春窟には赤い軒燈が燈りたいていの家は戸を締めてしまつて、ひよいとどつかの二階の鎧窓が開いたかとおもふと、ジヤツク・ナイフが閃めいて女の金切声が聞こえ、また直ぐにその窓は締まつて元のしんとした寂寞に帰るといつた、『カリガリ博士』の活動写真に出てくるやうな鬼気がその街一帯に漂つて来た。

コーラスというのは例のロシヤ人一家によるものだった。

《それから数分の後、私達は談笑しながらパウリスタの片隅で珈琲を飲んでゐた。そして、私は友達に漆絵の扇の話をした。
 そのうち、友達はあらぬ方をぢつと見詰めてゐたが、ふいと私のはうへ振返つて、
『君、君』と言つた。
『スミツト老人が来てるぜ』》

漆絵の扇とはアレキサンドラが舞台で持っていた安っぽい土産物である。スミツト老人というのは彼らが勝手に付けた綽名だった。彼はロシア人で、その落ちぶれた風采がドストエフスキーの『虐げられし人々』に登場する人物にぴったりだというところから中学生たち(彼ら大学生は中学生のときからパウリスタに入り浸っていたことになる)はそんな綽名を付けたのだった。

主人公はアレキサンドラとスミツト老人を登場させる『鳩の巣』という小説を構想する。

『鳩の巣』というのは、神戸にある世界的に有名な毛唐の売春窟である。
 港町では鳥渡した特徴のある招牌[かんばん]のイルミネイシヨンとか軒燈の色とかいつたものが、そのまま阿片窟とか売春窟の目じるしになつてゐた。そして、船乗の手から手へ渡る地図をたよりに、港に上陸した船乗たちはその目じるしを探すのであつた。ーー『鳩の巣』は、軒下にたくさんの鳩を飼つてることがその目じるしになつてゐた。

が、しかし、その小説は完成することはなかった。アレキサンドラの印象があまりに可憐だったから……。要するに甘ちゃんな小説だが、トアロードのダークサイドが描かれているところは非常に面白い。


by sumus2013 | 2016-09-26 20:32 | 喫茶店の時代 | Comments(0)
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