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林哲夫の文画な日々2
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損をしてでも良書を出す

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田中英夫『洛陽堂河本亀之助小伝 損をしてでも良書を出す・ある出版人の生涯』(燃焼社、二〇一六四月一五日二刷)読了。六三六頁の大著である。読み通すのはさすがにホネだったが、洛陽堂という素晴らしい出版社の事蹟を知る事ができたのは何よりの収穫だった。

洛陽堂はどう素晴らしいのか? 明治四十二年、竹久夢二『夢二画集春の巻』から出版業をスタートさせ(奥付刊行日では山本瀧之助『地方青年団体』が先んじるが、どうやら本が先にできたのは夢二画集だった)、雑誌『白樺』の版元を一時引き受け、なんと恩地孝四郎、田中恭吉、藤森静雄の『月映(つくはえ)』も出版していたのである。

郷里広島県の『沼隈郡誌』によれば河本(こうもと)亀之助はこういう人物だった。

《河本亀之助 慶応三年十月二十一日今津村に生る。幼にして同村大成館に学びしが、在学中学多いに進み小学校助教となり今津・松永・高須等に教鞭を執る。後今津郵便局の事務員たりしが、明治二十四年如月二十七日奮然として東都に出づ。上京当初は牛乳配達、新聞売子等の苦役をなせしが、国光社印刷所の設置せらるゝや入りて雇となり精励怠らざりしを以て年と共に要職に挙げらる。明治四十一年故ありて退社、翌四十二年千代田印刷所を創設せしが同年末洛陽堂と命名して出版業を始め今日の大を致す。大正九年十二月十二日日本赤十字病院に逝く。享年五十四。》(「はじめに」より)

亀之助の生涯にわたって関わるのが江戸福山藩邸に生まれた高島平三郎。二歳年長の高島は小学校卒にして心理学児童学者として立ち、そのときどきで亀之助を導いたという。その亀之助の生涯をさまざまな人々が書き残した文章や日記などから丹念に拾い集めたのが本書であって、その作業の手間を考えるだけで頭が下がる(著者にとってはむろん手間ではなく悦楽なのだろうが)。とくに高島平三郎、永井潜、山本瀧之助、竹久夢二、恩地孝四郎、武者小路実篤、天野藤男、木村荘八、加藤一夫、吉屋信子らは亀之助に関するまとまった記述を残しており、出版のジレンマというようなものをそれらから感じ取ることができるように思う。

亀之助の前半生は著者の言葉によれば次のようなことである。

《幕閣を輩出した藩領に生まれ、薩長など雄藩による新政府がすすめた学制にそむくように父は私塾に学ばせてそれが最終学歴となり、親が望まぬキリスト教を信仰しながら永く勤めたのが敬神尊王家が経営する国光社印刷部だった。》(「おわりに」より)

キリスト教信仰は重要なキーワード。そして出版業者としてはこういう人物だった。

《彼は敢て大家や名望家の門に走らず、若き思想家達で、真面目な人でさへあれば、何んでも引受けて出版してやりたいと云ふ義侠心に富んだ人であつた。彼は常に良書を刊行して世道人心を裨益したいと云ふことを、終生の使命だと感じてゐる人であつた。》(帆足理一郎)

《嘗て予に謂つて曰く、
書肆自身も趣味を以て出版物に対せざるべからず、只売れさへすればよいといふならば、市中の玩具屋と何ら択ぶ所なきなり。それでは真の出版業者ならず固より出版業者とて利益を度外とすることは出来ず。さればとて予は俗悪なるものを刊行して利益を贏[か]ち得んと希ひしことあらず。》(天野藤男)

その具体例が『月映』ということになる。

《そして月映公刊のだんとりになる「まあ三十円位の損ですからやりませふ」と今は故人洛陽堂主が、興味を以て出版してくれたのだつた。》(恩地孝四郎)

著者の田中氏はこの三十円についてこう説明してくれている。

《色刷と本文の頁数によって紙代印刷代を計算し、宣伝、取次など諸経費を加えて定価をはじくところまでしなければ、三十円位の損という返事はできない。部数は二百、予価は三十銭、売り切ったとして総額は六十円になる。諸紙誌に見本誌を送って紹介をもとめる宣伝をふくめた制作実費を、この半分の三十円と考えれば、ほとんど売れない想定にもとづく。》

《亀之助はそれらすべてをのみこんで、一年ならば毎輯三十円、一年十二輯分総計三百六十円の損、そう腹をくくってひき受けたのだと推察する。》

三十円を仮にざっと今の十万円程度と考えると、これは簡単にオーケーできる金額ではなかろう。若き芸術家たちに対する同情のなみなみならないことを感じる。まさに「損をしてでも良書を出す」河本亀之助、凄い男だ。

明日ももう少しこの本から引用したい。

燃焼社

by sumus2013 | 2016-06-07 20:57 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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