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石井立の仕事『北海学園大学学園論集』145号(北海学園大学学術研究会、二〇一〇年九月)および146号(二〇一〇年一二月)に掲載された「できるかぎりよき本 石井立の仕事と戦後の文学」前編・後編のコピーを頂戴した。きわめて興味深い内容だ。 検索してみると石井立の人物についてはこの記事がまとまっている。 石井立:昭和文壇支えた編集者魂 「できるかぎりよき本 石井立の仕事と戦後の文学」の執筆者は石井耕、石井牧、平賀美穂、石井樹の連名である。 《本稿は,石井立の遺した資料のうち主要なものおよび多くの方々が書かれた石井立に関わる文章を編集したものである。資料は,石井立自身の判断で手元に置いてあったものと考えられる。それを,妻・石井道が大事に保管し,一部整理をはじめていた。石井道も亡くなり、石井耕、石井牧、平賀美穂の三人の兄妹で,今回の整理を行った。孫の石井生・石井樹も手伝った。文章は石井耕と石井樹で執筆した。》 まずは石井立(いしい・たつ)の年譜をかいつまんで引用しておく。主な典拠は『木靴』17号(石井立追悼号)とのこと。 1923年2月19日 石井正とモモヨの長男として神奈川県横須賀市に生まれる。 1929年4月 大向小学校入学。 1935年4月 麻布中学校入学。 1940年4月 弘前高等学校入学。 1943年4月 京都帝国大学文学部入学、西洋史学を専攻。 12月 学徒出陣により宇治火薬廠の役務に服する。 1946年9月 京都帝国大学文学部卒業。大阪府池田中学校勤務。上京して大地書房に勤務。雑誌『白鳥』の編集に従事。 1947年6月1日 筑摩書房入社。 1948年以降 父・石井正とともにショーペンハウエル『幸福について』『自殺について』『死について』などを翻訳。創元社より刊行(後に角川文庫)。ショーペンハウエルについての論考を発表する。 1954年3月 詩集『雞のうた』を自選刊行。 1956年 同人雑誌『木靴』に参加。 1959年2月〜1960年2月 鎌倉・額田保養院入院。 1960年10月 再入院。 1962年 玉川病院入院。 1963年 軽井沢病院へ転院、玉川病院へ再入院。 1964年1月3日 慢性肺性心のため日産厚生会玉川病院にて死去。享年四十。 年譜の次には筑摩書房で石井立が関わった書物のリストが掲載されている。雑誌『展望』の編集からスタートし、最初に手がけた単行本は太宰治『ヴィヨンの妻』(一九四七年八月五日、林芙美子装幀)である。太宰とはかなり親しく付き合っていたようだ。それらについては明日。
by sumus2013
| 2016-05-28 21:04
| 古書日録
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