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林哲夫の文画な日々2
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煎茶の流行と茶屋の発展

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若冲「売茶翁」(部分)


【『喫茶店の時代』正誤・増補 003 煎茶の流行と茶屋の発展】

21頁後ろから3行目

《ところが江戸時代に入ると、嵯峨天皇の在世以来途絶えていた煎茶が復活する。》

とあるところ

江戸時代に入ると、同種かどうかは別として、平安時代初期以来の煎茶が復活する。

に差し替える。

23頁に若冲「売茶翁」の図または田能村竹田の「高遊外翁像」を挿入する。若冲(一七一六〜一七八〇)は実際に売茶翁と親しくしていたのでこの面貌には信頼がおけると考えていいだろう。魁偉と形容してもいいような面構えではないか。ただ描き方としては中国風の型にはまった表現を残して格調を保っている。

竹田(一七七七〜一八三五)は売茶翁(一六七五〜一七六三)歿後の生まれ。若冲らによる既存の肖像画からインスピレーションを得たのだろうが、リアリティという意味では、実際にはこんな爺さんだったんじゃないかと思わせる深みがあるように思う。頭頂部の形とか禿げぐあいだとか、頬髭、のど仏から胸にかけての皺など非凡である。それでいて雅味を失わない。竹田の禀質だ。

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田能村竹田「高遊外翁像」(部分)



◉26頁2行目《と呼ばれる茶粥であろうか。》の次に以下の文章を挿入。

《奈良の茶粥の作り方は様々だが、米一水八〜十で炊き、煮上ってくると「茶ん袋」を入れてよくまぜ、余熱で仕上る。袋を取り出し少しさまして食べるのが本格的だという。「茶ん袋」には粉茶を入れる。他に東大寺には粥をザルでこしておもゆを除き、煎茶をかけて食べる「あげ茶」が伝えられている。【出典脚註=『あまカラ』四六号、一九五五年六月、二六〜三〇頁】また、和歌山県日高地方では番茶で白米を煮て作る【出典脚註=『あまカラ』七一号、一九五七年七月、六三頁】

《 九や三を二が連れて行く万年屋
という川柳がある【出典脚註=藐姑柳 (はこやなぎ)』(天明五年=一七八五)四篇】。これは厄年に当る人々が川崎大師に参詣することを詠んでいるのだが、女の厄年十九と三十三、男の厄年四十二、それぞれを略して詠んだところが手柄だろう。六郷川の西畔にあった万年屋は奈良茶漬けで有名だった。》

茶屋で食事を出すようになったのは明暦の大火(一六五七)以降のことだという。

by sumus2013 | 2016-05-23 20:21 | 喫茶店の時代 | Comments(0)
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